おべんきょうノート

自分用です。

書簡訳

安政6年2月中旬頃 松陰→小田村

士毅村先生に與ふ 天下大快活の事なく、又大快活の人なし 子遠已に然り、其の他何ぞ説かん 僕子遠を信ずること甚しきに過ぐ 是を以て固執爭辨比に至る 士毅村先生に与える 天下は晴れ晴れとせずまた生き生きとした人もいない。子遠も既にそうなっており、そ…

安政6年正月19日 松陰→杉蔵

*当時赤禰の名前は幹之丞とされているが文語文では武人になっている。原文未確認 十九夜大樂源太郎・赤根武人・傳之助・和作四人免罪の事、大高より宍戸翁へ論じ込ませ候策は之れなくや 十九夜大楽源太郎・赤根武人・傳之助・和作、四人の免罪の件は大高か…

安政5年12月16日 松陰⇆栄太郎

表面 松陰筆 家爺疫症危篤、苦心いたし候 小生儀も看病中入牢見合せの事嘆き出で候處、御詮議に相成るべき趣、先づ御喜び下さるべく候 父・百合之助が伝染病により危篤、色々と悩み苦労している。僕の件も看病中は入牢が差し控えとなっていて悲しみで溜息が…

安政6年4月9日(ヵ)松陰→岡部

僕容易に人を絶交する様に久坂など云ひて不滿を云ふけれど、義卿豈に容易に人を絶交せんや 殊に來原・桂などは僕が尊信することは諸友具さに知る所 然れども諸友かかる大機會を態と取外し、今公の勤王をさせぬなれば、僕どうも如何に思うても胸がながぬでは…

安政6年3月26日 松陰→小田村・岡部

小文字は行間に書き添えた文章(松陰筆) 勤王は迚も長藩 のみならず諸藩皆然り にては出來申さざる事は僕疾より承知なり 然れども出來ぬ 心思錯亂、語論次なし ながら十數人も勤王事にて 罪を蒙れば志決す、怒猪の如し 怒猪となればおそろしきものなし 十數…

安政6年5月13日 松陰→(高杉?)杉蔵

*杉蔵への追伸より前の高杉宛文章全部が墨で大きく擦って消されている(高杉が目にしたかどうかは不明?) *栄太郎の別紙は今は見つかっていない 四月七日の書至り拜復仕り候人物月旦一々的當、但し日下は大いに前日の老成見を悔ゆるに似たり 之に因り僕へ…

安政6年5月24日 久坂→高杉

高杉 江戸 久坂 萩 尊書屢辱辭意重疉捧讀之際愧悚而答書奉有未緩慵之罪海涵是祈 度々手紙をいただき面目無く思います。(貴方の)手紙が幾重にも重なっていて、拝見する際(自分が)とても恥ずかしく思えました。回答書はまだ無く、気の緩み(故の過失)ご容…

二本松藩史「世良暗殺の顛末」

十八日(閏四月)世良参議單身白河を發し、十九日福島に入り金澤屋に宿す(同地北町)。此の日仙臺藩瀬上主膳、姉歯武之進等、土湯、荒井、鳥渡(共に福島の西方ニ三里に在り)の守備を徹して同地に來る在り。福島藩用人 鈴木六太郎 世良が託する所の在 羽州…

安政6年4月13日 高杉→久坂

江戸から山口まで手紙が届くのにどれだけ急いでも2、3週間は掛かると思われる 今以御手間御送無御座。少々は不平にて御座候。陳は貴兄御起居如何、此節は山口より御帰萩被成候哉、万端承度候。私儀も碌々食飯居候。此節日夜強気起り、一日も君之為めに死度心…

安政6年4月1日 高杉→久坂

久坂に萩下の近況を問うも返事が来ず、これが三通目 二白、僕も愚父様子相考候ニ、来春カ来秋ニハ必帰萩サセ、松下様子大憂イ居候、松下先生ニハ書状可差上ト相考、度々認候得共、ウソニナリ候事カ多ク御座候故、ヤメ申候追伸、僕も父の状況を考えると、来年…

安政4年9月3日 煙管を折るの記

一部抜粋にて 一日有隣と士風を論ず 無咎、無逸、市、溝、皆、これに在り 夜深うして灯燃え残る 談、岸田生の事に及ぶや、余の憂ひ色に現はれ、一座黙然たること之れを久しうす 無逸慨然として煙管を把って之れを折る、曰く「吾れ其れ此れより始めん」と 無咎…

安政6年5月東行前 松陰→杉蔵

吉田松陰全集コマ219 松陰 野山獄杉蔵 岩倉獄 久保・天野來る 天野は吾が見る所恐らくは違はず 是れは高杉來歸を待ちて決すべし 久保は眞に吾れを知るもの、今更に申すに及ばず 爰に一落涙したることあり 久保君、天野君が来た。天野君は私が見るところによ…

安政2年10月15日 清内、栄太郎→大野

清内の筆跡とのこと。 安政元年に一度萩へ戻った栄太郎が安政2年9月に江戸へ行く際(江戸番手御昼水仁)、餞別をくれた時のお礼。 一筆啓上仕候 寒之節に御座候得共、先以貴家御揃御勇可被成御座珍重奉存候 於為元私共父子無異罷在候間、此段乍憚御休意被思…

元治2年3月1日 土方→佐藤

多摩デジタル新撰組資料館 小島資料館 所蔵資料 https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/1391015100/1391015100200020/ht160018 ○後日読み直します◯ 春暖之節御坐候処、愈御安康御座成させらるべく候と恐寿奉り候、随て当方一統無事御休意下さるべく候…

元治元年5月20日 近藤→ 児島・橋本

多摩デジタル新撰組資料館 小島資料館 所蔵資料 https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/1391015100/1391015100200020/ht160013 ○後日読み直します○ 尚々小山萩原氏え書状も差し出し申さず候間、恐れながら宜敷く願い上げ候、先頃下拙共武術の義格別の…

文久4年正月24日 高杉→大和

狂生義此度 何分國事切迫に付無餘義只今ゟ上京仕候附而は御両殿様萬事御補佐之事呉々も御願申上候 私のこの度の件 何分、国事切迫に付き他に取るべき方法も無く只今より上京致します。ついては両殿様、万事ご補佐の程をくれぐれもお願い申し上げます。 先日…

文久4年正月23日 高杉→前田

打絶御無沙汰申上候段御降恕奉願上候 先日已来嘸々御愁傷可被為入奉愚察候 御見舞にも不罷出段千萬奉恐入候 扨は廉菓之箱遺俗御寸意迠御持を申上候間御落手奉頼候 全くのご無沙汰でした件、お許しくださるようお願い申し上げます。先日以来さぞさぞお悲しみ…

安政7年正月21日 淵上→ 下川(瀬兵衛)

去十二月二日御認之御尊翰正月五日辱奉拝見候、時下余寒退未候へ共、宿元皆様御揃御機嫌克被遊御座大慶之御事に奉存候、小生も当地にて無異儀相暮居申候乍恐御休意可被下候 去る十二月二日認めのご書簡を正月五日に拝見しました。立春の候未だ寒さが残ります…

安政5年正月6日 松陰→秋良

秋良敦之助宛 此の度尊貌を冩しのため松洞生貴地へ罷り出で候間、然るべく御頼み仕り候 この度、お顔(お姿)を写す為(自画像の意味)松洞君がそちらへ参りますので、どうぞお頼み申します。 嘱せられし短刀記、僅かに結草致し候へども、鍛工の名及び刀の長…

嘉永6年12月8日 清内、栄太郎→大野

要約:現状報告 大野信吾へ清内と栄太郎連名の書簡 筆跡は清内とのこと 一筆啓上仕候 甚寒之節に御座候得共先以尊君様・御家内中様御壮健可被成御座珍重之御義に奉存候 於為元親子共に無異儀相勤候間貴意易思召可被遣候一筆失礼致します。寒さ甚だしい季節に…

嘉永6年6月24日 清内、栄太郎→大野

吉田清内、栄太郎から大野信吾への書簡筆跡は清内のものだろうとの事 要約:萩の隣家の当主に時勢の慌ただしい動きを知らせている 一筆啓上仕候 甚暑之節に御座候処、先以貴所様・御満家中様御安全に可被成御座珍重の至に奉存候 於為元親子共無意義相勤候間、…

文久3年2月14日 中岡→久坂

要点:中岡が京滞在中久坂に木下駄を借りた 木屋町十三番御宿 久坂玄瑞様 几下 中岡慎太郎 〆 二月十四日 木屋町十三番御宿 久坂玄瑞様 几下 中岡慎太郎 〆 二月十四日 先刻は推参仕り彼是御高話承千万忝かたじけなき仕合御座候 拝借致し候御木履為持御返し仕…

安政6年5月東行前 松陰→杉蔵、和作

吉田松陰より、子遠兄弟への書簡。らしい。 江戸に召喚される直前、長州萩にて親戚門下諸友に決別の遺書として書き与えたもののひとつ。同じ様な文面の遺書がいくつかあって正確にはどれかわからないので、タイトルを一番確率の高い杉蔵宛にしています。 内…

安政5年正月4日 松陰→月性

松陰 萩、月性 周防 松陰全集6 コマ33 原文並び替え 松洞生木原翁㒵写爲罷越候故一緒呈候、此内ハ度々御手數成下被悉複奉暇未失體恐入奉候、歳寒窓二編入手仕候、写録仕度ニ付暫畄申候 (松浦)松洞が木原(松佳)翁の自画像の為参るので一緒に送ります。こ…

文久元年8月16日 久坂→九一

「此書火中すべし」「この手紙は読んだら燃やしてください」 前月念五朶雲昨日到手仕候 御清安被為在大悦仕候 前月(七月)二十五日(の君の手紙が)昨日手元に届きました。清安であらせられ大変喜ばしい事です。 扨者天下の形勢も日々切迫に相成申候 和宮様…

文久4年2月18日 高杉→雅子

来島又兵衛など遊撃軍の京都進発論を押さえる為、藩命を無視して上京。京都にいた桂・久坂と協議。 一筆申し進め候、先中御父母さま御揃い御無事にいらせられめでたく存じまいらせ候、そもじどのにもご無事にござあるべく候、めでたく存じまいらせ候、我れら…

文久2年11月21日 弥二郎→父

要約:外国公使暗殺未遂事件後の処遇など 寒冷の節に御座候えども、いよいよ御安泰成さるべく御所義珍重存じ奉り候。 寒冷の季節でございますが、ますますご安泰となされるご様子でとても喜ばしく思います。 さては私義過る十三日少々存じ付き候事これあり、…

慶応2年4月5日 高杉→おうの

おうのとの無事一筆申し遣し候、そな事も無事にてめでたく存じまいらせ候、われらも無事長崎に罷り居り候間、卸きづかい下されまじく候、 おうの殿無事一筆申し残します。貴女も大事無いとの事で喜ばしく思います。私も無事に長崎に居りますので、お気遣いな…

文久3年11月6日 高杉→山縣

伝・晋作書簡 (「東行庵だより」平成13年夏号)写本か 御翰拝読候。先日は計らず怱卒申し出、後悔罷りあり候。実は久坂より何たる事も申さず候ゆえ、呈書つかまつり候訳にござ候、其の方、御降恕遣わされるべく候。御調の分、御入金員数相分かり候はば仰せ…

慶応3年3月15日 高杉→福田

東行拝 悠々舎主人 侍史 御見舞品数々御恵投被害 下難有御厚情之段奉多謝候東行拝悠々舎主人 侍史 (不利益が被る程の)数々のお見舞い品を戴き、とても有難く貴方の厚情には感謝が尽きません。 侍史→「この手紙はあなたのお目を煩わせるほどのものではない…