おべんきょうノート

自分用です。

安政6年2月中旬頃 松陰→小田村

 士毅村先生に與ふ

天下大快活の事なく、又大快活の人なし 子遠已に然り、其の他何ぞ説かん 僕子遠を信ずること甚しきに過ぐ 是を以て固執爭辨比に至る

 士毅村先生に与える

天下は晴れ晴れとせずまた生き生きとした人もいない。子遠も既にそうなっており、その他に何と説明しよう。僕の子遠への信用は非常に度合いを超えている。これをもって(その想いの大きさと同様の)主張をし続け口論に至る。

 

然らずんば人に強ふるに爲すべからざるの事を以てする、僕何ぞ是に至らんや 自ら爲さずして人之れを爲さんことを強ふる、僕何ぞ是に至らんや 已んぬるかな、已んぬるかな

そうでなければ人に不可能な事を強いようとする、僕はどうしてこうなったのだろう。自ら行動せずに人に行動する事を強いる、僕はどうしてこうなったのだろう。どうしようもない、どうしようもない。

 

子遠も又奴才、決して能く人を奴とする者に非ず 僕子遠を無逸の上に措く、惑へるを知り、悔ゆるを知るなり 天野生と無逸とは、識見遂に及ぶべからざるなり 別に無逸に往るの書、二無に託して之れを達せば幸甚

子遠もまた僕である、断じて人を手先とするような者ではない。僕は子遠(への期待)を無逸の上に据え、思い悩み、後悔した。(杉蔵は)天野君と無逸のような見識感にとうとう届かなかった。別にある無逸宛の手紙は二無(松洞・徳民)に預け、届けてもらえたら何よりの幸せである。