おべんきょうノート

自分用です。

安政7年正月21日 淵上→ 下川(瀬兵衛)

去十二月二日御認之御尊翰正月五日辱奉拝見候、時下余寒退未候へ共、宿元皆様御揃御機嫌克被遊御座大慶之御事に奉存候、小生も当地にて無異儀相暮居申候乍恐御休意可被下候

去る十二月二日認めのご書簡を正月五日に拝見しました。立春の候未だ寒さが残りますが、宿元におかれましても皆様お元気にお揃いとの事で心よりお慶び申し上げます。私も当地にて変わりなく暮らしておりますのでご安心ください。


一、往年証文之事に付大鳥居氏始諸君御打寄御相談にて江戸往来証文に御願替被成下候段、御配慮之程御察申上候、江戸往来に願替最早相済申候哉否は先便御書状面にては余り御文面御簡略にて小生へ相分り不申候、夫故御上屋敷へ暫時引越之儀も見合居申候、

一、これまでの証文の件ですが、大鳥居氏を始め諸君が寄り合った際のご相談にて江戸への往来証文へ願い替えくださった件、お気遣いの程お察し申し上げます。江戸往来への取り替えがもう成したのか否か、先の書状面では文面が簡略でしたので私には意味が分かりませんでした。それゆえ上屋敷へ暫くの間引っ越す事も見合わせております。

 

併只今迄肥後抔に参り候時之往来願の例にて相考候へば最早相済居候様に相察申上候、講学所先生よりも頻に引越之事相勧に相成且私も右に察申上候通り、最早願替相済居申候相察申候間来月に日数十日計り御屋敷に引越可申様約束致置申候、

しかし只今まで肥後などに参った時の往来願の前例を考えればそれで収まり済むようにお察し申し上げます。講学所の先生からもしきりに引越す事を勧められ、私も右に申し上げた通りすでに願い替えが済んでいると思っていましたので来月に十日ばかりお屋敷に引っ越すよう約束を致しました。


扨又追々御書翰中に被仰越候御趣意、違背致し不孝の筋に相成申候に付私も当三月より当地出立仕帰国仕可覚悟に御座候、左候得者当地に滞在候事も僅之日数に候間御屋敷へ引越不申共宜敷様な者に御座候へ共罷帰事に付ても、箱根通り手形抔之事も有之、

そうしてまた次第にご書簡の中で仰られたご意見に背き不孝をしてしまった事に付き、私も三月より当地を出立し帰国する覚悟でございます。そうなれば当地に滞在しているのも後僅かですのでお屋敷へ引越さずとも良い様なものでございますが、帰国に付いても箱根の通行手形などの事もありますし、

 

且又当春下向之人に都合宜敷人共有之候はじ同道致候て罷下り候事も自然は有之可申旁以少々之手数には相成候へ共、何様鳥渡御屋敷へ引越可申方に覚悟致申候

また今年の春に下向する人の中で都合の良い人があれば同道致して下る事も自然であります。方々をもって少々の手間にはなりますが、いかようもちょっとお屋敷へ引越す方向に心積り致しております。


一、大橋氏を退塾致、医家高名之方へ入門致可申様被仰越候へ共、当三月より罷下り候へば最早当地に滞留致候日数も僅に御座候間、医家へ参り候ても格別之業し出来申間敷且又去冬以来は、一銭之儲も無之旁以外に転塾も仕不申候、

一、大橋氏(の塾)を退塾し医家高名な方へ入門致すよう仰せられましたが、三月より下る事となれば当地に滞留する日数も僅かでござますし医家へ参ったとしても格別な行いは出来ず、昨年の冬以来は一銭の儲けも無いので方々の理由をもって他に転塾も出来ません。

 

最小生も是迄数ヶ年之間医術のみに修行致居候へば、愚才にて人並には出来不申とも存申候へ共兎哉角は療治も仕可申哉に存申候、併折角之御配意に付塾へは参り申さず候共陰でなり共医術の事に心掛可申奉候存候、

最も私もこれまで数年間医術のみ修行致しておりましたから、愚才にて人並みには出来ずとも思われておりますが、あれこれは治療も致すと申すべきかなと思います。しかし折角のご配意ですので塾へは参りませんが陰でなりとも医術に関して努力をしたいと思っております。

 

扨被仰越候御尊翰之中に儒者にては御両親様等御養育申上候事も覚束なく候に付学文は相止候て医業筋専一に致候様にとの御趣意御尤には存候へ共、小生も何ぞ儒者と申者に相成候て夫にて渡世仕様抔と申候心存は因より無御座候へ共、是迄一向人間之道と申儀存不申候に付責而人間ら敷者に相成申度存念一抔にて学問勉強仕申候、

さてご書簡内で仰せられた、儒者となってはご両親様からご養育いただいた事もうまくいく見込みがないので学問はやめて医業への道に専念致すようにとのご趣意、ごもっともではありますが私も儒者と申す者になってそれを生業としようなどという心は元よりございませんが、これまで全く道徳と申すものに触れてきませんでした。せめて人間らしくなりたいと思いましたので学問の勉強を致します。

 

全体学問申事は文字抔を沢山知り候て、夫にて渡世抔致候を以て学問と申には決して無之、忠孝之道を知りて、本真の人間に相成可申ための事に御座候、夫に付人は誰にても学問無之候ては不相叶候事に存申候、忠孝義理之事相離候て、唯々金銀の利益をだに得候はば宜敷抔と思ひ候は誠に小丈夫の仕業にて少しにても忠孝の筋へ志候者は誠に恥敷思ひ候に御座候、

全ての学問は文字などをたくさん知って、それを稼業に致す事を学問と申すのでは決してありません。忠孝の道を知って、本当の人間になる為の事でございます。ですので人は誰であっても学問なくてはいけない事だと思います。忠孝や義理というものから離れて唯々金銀の利益を得れば良いなどと思うのは誠に器の小さい者の仕業であり、少しであっても忠孝の道を志す者は誠に恥ずかしき思いにございます。

 

夫故昔より聖人賢人之御辞に、人間たる者飲食は充分致候て一向道筋へ不構は鳥獣も同様の者と被申候事も有之且又御存知の通り日本にも昔より君之為親之為抔、義理筋には命も不惜候人も数多有之、彼様之人は皆義理に目を附て、利益に目を着候人には無御座候、

それゆえ昔より聖人、賢人の言葉に「人間たるもの飲食は充分致して一向に進むべき道を考えないのは鳥獣と同様の者」と申される事もあります。またご存知の通り日本にも古来より君主の為、親の為など、義理の筋には命も惜しまない人も数多くいます。かような人は皆義理に目を伏せて利益に目をつける人ではございません。

 

况て道義には不構候て富貴等へ計り心掛候事は昔より人にすぐれし者に決して無之候、小生等も罷帰り候て開業致候ても、流行致候と流行致不申とは天命にて御座候へば無理に流行頼候て、人に不入へつらい抔仕申様なり永らへ致申間敷事に存申候、唯々天に対しても恥敷無之地に向つても不懼候様、親子兄弟睦敷有之申度夫而己呉々願候処に御座候、

まして昔から道義には構わず金持ちなどへ謀ろうとするのは優れた人では決してないのです。私も帰国しまして開業致しましても、流行るか流行らないかは天命でございますし無理に流行らせようと人にへつらいなど致す生業は長くは続かない事と思います。唯々天に対しても恥ずかしくなく、地に向かっても恐れぬよう、親子兄弟睦まじくありたく、それのみくれぐれ願う所存でございます。

 

夫に付尊大人様にも左様御思召可被下候尤借財筋の事には小生も色々心配致居申候、義理に違候事無之様致候て塩梅宜敷処置申度偏に願処に御座候、是は罷帰候て緩々御相談申上度存念に御座候

そのためお父様もそのように心に留めてください。もっとも借金の事には私も色々心配致しております。義理に違わないよう致しますので適切に宜しく処置を申したくひとえにお願いにございます。これは帰国しましてゆっくりとご相談申し上げたい所存でございます。


一、当三月罷下り候に付ては四五両の金子は失費致候様に相考候間、若此状着迄御登せ共無御座候はば乍御心配御才角被成下候て御登せ可被下候右以乱筆急に相認、定て御分兼候処も数多有之可申、御推察御覧可被下候不具謹言
  正月廿一日     淵上郁太郎 判
尊大人様      御床下

一、三月の帰国に付きまして四、五両の出費があると考えておりますので、もしこの状態が着するまでお登りがなければお心配り、ご工夫くださいましてお登りください。以上、乱筆急ぎで認めました。

きっと理解しかねるところも数多くありましょうが、ご推察してご覧くださりますよう。不具謹言。

  正月廿一日     淵上郁太郎 判
尊大人様      御床下