おべんきょうノート

自分用です。

安政五年

♦︎♢ はじめに ♢♦︎

上のカテゴリータグからとんでください。 ・このブログは自分の勉強メモです。 ・サーチエンジンからは検索できないようになっています。 ・解釈違い、間違い等あるかもしれませんが放っておいてください。 タグの説明 安政、元治、嘉永、文久、慶応→年号。 …

安政5年6月 松陰→市之允

安政5年(1858年)6月 山田市之允が元服を迎えるにあたり、松陰は「與山田生」と題した漢詩を扇面に揮毫して授け立志の目標を示した ほなな:3〜5行目は初見で「俗流」にかかっているものと感じたので、ひとまず訳をこう置いています 立志尚特異 (立志は特…

安政5年2月下旬 松陰→月性

調停一事御心頭に懸けられ候段、實に感銘致し候 右に付き、何卒折角の御厚情徒事に相成らず候様にと種々案勞仕り候より同志へ申し談じ候處、孰れも同意に御座候 仲介の一件を念頭に留められておりました事、実に感銘致しました。右の件に付きまして、どうか…

安政5年2月28日 松陰→久坂

著者である山口県教育会は『観月先生は普通小田村伊之助を指す、小田村は当時松本村観月河原に移住して居ったからである、然るにこの書簡は久坂宛に違いない』という。 阿月の貴書達し候 御壯志妙々 京師の事何如やらんと至極案じ申し候 桂小五郎來原に與ふ…

安政5年4月13日 高杉→松陰

松陰全集6コマ48、49 原文並び替え 玄瑞君も益慷慨、浪華過京師至愉快々々、京師之事實悦可懼可、 玄瑞君も益々意気盛んとし、大阪を越え京都に至ったと聞きとても心が浮き立つようです。京都の事象に直に触れ、さぞ驚喜している事でしょう。 実ニ天下之安危…

安政5年 弾正益田君に奉るの書(抜粋)

東行net:http://www.togyo.net/cgi-bin/togyo/shinsaku/index.php?c=8-21 「弾正益田君に奉るの書」は高杉晋作 「暢夫の対策を評す」は吉田松陰 対えていわく、昔王通言あり、夷狄の徳、黎民これを懐う、三寸それこれを捨つ、某常におもえらく、虚語にあら…

安政5年12月16日 松陰⇆栄太郎

表面 松陰筆 家爺疫症危篤、苦心いたし候 小生儀も看病中入牢見合せの事嘆き出で候處、御詮議に相成るべき趣、先づ御喜び下さるべく候 父・百合之助が伝染病により危篤、色々と悩み苦労している。僕の件も看病中は入牢が差し控えとなっていて悲しみで溜息が…

安政5年正月6日 松陰→秋良

秋良敦之助宛 此の度尊貌を冩しのため松洞生貴地へ罷り出で候間、然るべく御頼み仕り候 この度、お顔(お姿)を写す為(自画像の意味)松洞君がそちらへ参りますので、どうぞお頼み申します。 嘱せられし短刀記、僅かに結草致し候へども、鍛工の名及び刀の長…

安政5年正月4日 松陰→月性

松陰 萩、月性 周防 松陰全集6 コマ33 原文並び替え 松洞生木原翁㒵写爲罷越候故一緒呈候、此内ハ度々御手數成下被悉複奉暇未失體恐入奉候、歳寒窓二編入手仕候、写録仕度ニ付暫畄申候 (松浦)松洞が木原(松佳)翁の自画像の為参るので一緒に送ります。こ…

安政5年8月19日 松陰→栄太郎、松洞

安政5年8月19日 吉田松陰全集6 コマ72、73 大半は品川弥二郎が代筆をしたもの。【】は全集に未記載。山口県立山口博物館研究報告より抜粋 本日十五日直八帰ル、今十八日朝松介・仙吉帰ル口羽気分宜シ、過日寺社奉行トナル由、先是良蔵為御祐筆、桂為大撿使、…

安政5年冬 久坂→文

安政5年(1858年)冬 一ふで参らせ候。寒さつよう候へども、いよいよおん障なふ、おん暮めでたくぞんじ参らせ候。まいまい文まゐる。 一筆差し上げます。寒さが厳しくなってきましたが、差し支えなくお暮らしの事と存じます。いつもいつもお手紙いただきあり…