文久3年2月14日 中岡→久坂
要点:中岡が京滞在中久坂に木下駄を借りた
木屋町十三番御宿
久坂玄瑞様 几下
〆
二月十四日
木屋町十三番御宿
久坂玄瑞様 几下
〆
二月十四日
先刻は推参仕り彼是御高話承千万忝かたじけなき仕合御座候 拝借致し候御木履為持御返し仕候間宜敷奉願候 先は取紛右御礼旁々かたがた如此御座候
頓首謹言
先程は急な押し掛けにも関わらず、沢山の高説を拝聴し、とても恐れ多くまた有難い次第でございます。お借り致しました木下駄はお返しにお持ちしますので、宜しくお願い致します。先ずは右の前述通り、諸々のお礼を兼ねさせていただきます。
頓首謹言
木屋町十三番御宿という宛先は、文久二年に久坂玄瑞が木屋町で同志数人と同居していたという場所?
同居人:佐世八十郎(前原一誠)中谷正亮、堀真五郎、楢崎兄弟(弥八郎、仲介)、寺島忠三郎。と、その時々で出入りはあった様子。
この日は雪であったという説もあり、歯が高い木下駄か。
三尺佩刀三寸筆
節義風流在此中
淺いこゝろとひとにはみせて
よるは千鳥でなき明す
秋湖先輩之吟
三尺の帯刀、三寸の筆
この中に節義と風流が共存する
浅い心と人には見せて
夜は千鳥※1で啼き明かす
秋湖先生の詩
※1「千鳥」趾(あしゆび)は3本で後趾をなく、ジグザグに向きを変えながら歩く。夜、澄んだ声で鳴く。名前の由来は数多く群をなして飛ぶからといわれる。
(浅き心〜は久坂の都々逸であった気がするけど、史料不足で確認できず。確認次第追記)