おべんきょうノート

自分用です。

安政6年5月24日 久坂→高杉

高杉 江戸

久坂 萩

 

尊書屢辱辭意重疉捧讀之際愧悚而答書奉有未緩慵之罪海涵是祈

度々手紙をいただき面目無く思います。(貴方の)手紙が幾重にも重なっていて、拝見する際(自分が)とても恥ずかしく思えました。回答書はまだ無く、気の緩み(故の過失)ご容赦いただけるようお願い申し上げます。

 

先頃老兄及飯田尾寺前月念一手書至回先生東行之行報且一身難代大義辯幕吏動勸先生去臘以来既此行期三兄書見及益知己之言得喜因僕書作陳謝使

先月二十一日、貴方と飯田君・尾寺君の手紙が届きました。松陰先生は江戸送致の通知を受け自分一人では難題である大義を幕吏へ説き動くよう促しました。先生は去年の十二月から既にこの江戸行きを覚悟していました。貴方達の手紙を見て知己の言葉を得て益々喜ばれ、そういう理由で僕に陳謝の書を作らせました。

 

昨先生於獄窃見痩骨嶸崢髪亂面被而死視歸如難色有無然僕窃謂此自數年國家之事又爲可不庸相當路尚可姦相柄執則事巳矣

昨日獄内の先生(の姿)を密かに見ました。痩せ細り乱れた髪が顔を覆っており、まるで死を視ること帰するが如し(死を恐れない/中国の経書「大戴礼」の語)のようで、よそよそしさ(心の隔たり)が見え隠れしています。しかし僕に密かに告げるには「これより数年は国事は為せなくなる。重要な地位にいる者も引き続き悪賢い権力に従うだけだ。

 

廟堂諸公称善人爲者前氣膽乏其才力有者乃権弄威張將前途實悲可也

朝廷の方々は善良と言われる者は気膽(気胆・気力、体力)に乏しく、その気膽がある者は権力を弄び威を張り、前途は実に厳しい」

 

因憶昨年夏江戸在時國幣一變士氣大振名士撰用言路洞開先生幽因在如者雖而露肝膽吐諸書筆以明公賢相之前達得

思い返せば昨年の夏、江戸にいた時に世論が一変し士気は大いに振るい名士を選りすぐり言路洞開(という言葉の通り)、松陰先生が幽因の身であるとしても(洞院)公賢のように書によって心情を上層部へ率直に述べる事が出来ました。

 

是於驛使絡繹皆維新之美報噫是一年左右事耳而今既此如何其興廢之測可不也先生頻老兄言又老兄爲策立檻輿府到日釁伺相見宜也

この時は馬使いの往来が絶え間なく続いていて、皆新しい良い報せでした。ああ、この一年あれやこれやと翻弄する事ばかりで、今も既にこの状況です。何ともそれを良しとするか悪とするかは測るべきではないでしょう。先生はしきりに貴方の話をし、また貴方の為の策を立てています。籠(囚人用)が江戸に着いたら隙を見てお伺いすると宜しいと思います。

 

老兄近時議論何如僕西歸後變其見三諸老兄敢質将然先生發明旦在心事萬緒複一々不它後鴻待老兄若二子與會幸先生之意致焉五月念四

貴方は最近の議論はどうですか?僕が帰郷後にその変わり目を見てきた貴方三名(高杉、飯田、尾寺)に敢えて問いたいです。しかし先生は翌朝出発する身です。心中に思う所はあれこれとたくさんあり、ひとつではありません。その後(先生にお伺いした後?)の知らせを待ちます。貴方と若二子(飯田、尾寺)と共に会えたら先生のお考えも晴れやかになるでしょう。焉(これ)、五月二十四日