おべんきょうノート

自分用です。

2021-01-01から1ヶ月間の記事一覧

安政5年4月13日 高杉→松陰

松陰全集6コマ48、49 原文並び替え 玄瑞君も益慷慨、浪華過京師至愉快々々、京師之事實悦可懼可、 玄瑞君も益々意気盛んとし、大阪を越え京都に至ったと聞きとても心が浮き立つようです。京都の事象に直に触れ、さぞ驚喜している事でしょう。 実ニ天下之安危…

安政6年4月11日 松陰→久坂

*亢龍は易学二十八宿のひとつ。真っ直ぐな龍という意味。『亢龍有悔』という慣用句があり「天高く究極まで昇りつめた龍は最早それ以上昇るところはなく、下ることのみで後悔する」ということ。 *何心隱論は蔵書ではなく焚書 *萱野勘平は萱野三平重実の事…

安政6年2月23日頃 久坂→松陰→某

黒字は久坂筆、赤字は松陰筆 久坂からの手紙の末に松陰が書き加え、某に出した書簡 松陰先生に與ふる書松陰先生足下、僕の歸るや將に先生と晤言し其の思ふ所を盡さんとす 而るに今既に繋がれて岸獄に在り、至痛至憾 然れども義事を謀りて敗る、鐵石笑坐之れ…

安政4年「秀實、字は無逸の説」

榮太郎年甫めて十三、始めて江戸に役す 會々墨夷の變あり、深く自ら奮勵し、武技を學びて以て致す所あらんと欲す 其の後、家を辭して遠く遊ばんことを謀りしも、事諧はず 栄太郎が十三歳の頃、初めて江戸へお役目を勤めた。ちょうどその時墨夷(アメリカ)の…

慶応4年閏4月11日 世良→楢崎

楢崎頼三宛 楢崎頼三陣中日記(https://www.d-library.jp/hgi02/g0102/libcontentsinfo/?conid=138563)では楢崎は閏4月13日にこの書簡を見た様子。 引続御尽力奉察候 然は庄内表も賊兵甚多勢にて暴動致し、薩長僅百五六十人の兵にては、防禦も行届兼、他藩…