おべんきょうノート

自分用です。

文久元年8月16日 久坂→九一

「此書火中すべし」
「この手紙は読んだら燃やしてください」

 

前月念五朶雲昨日到手仕候 御清安被為在大悦仕候

前月(七月)二十五日(の君の手紙が)昨日手元に届きました。清安であらせられ大変喜ばしい事です。

 

扨者天下の形勢も日々切迫に相成申候 和宮様御下向も十月頃までには弥可有之とのよし
さては天下の形勢も日に日に切迫しております。和宮仁孝天皇第八皇女)の御下向も十月頃までにはいよいよお決まりになるとの事です。


来年は仁孝天皇十七回忌被為当候よしにて夫迄は御下向に不相成との事に候得共若州中々不承知 縉紳家も若州に心服する人も有之よしなり
来年は仁孝天皇十七回忌に当たられますのでそれまでは御下向は行わないとの事でしたが、若州(若狭)藩が中々承知せず、公家内でも若州藩の意見に賛成する者も出てきているようです。

 

彦根をして殿をなさしむる様子に候皇妹を人質として京城を圧服せんとするは幕の奸謀に候得ば 天下有志力を此処に致さずては不相叶事に御座候、
彦根藩に殿しんがり?)をさせるご様子であります。和宮様を人質として京城を力で従わせようとするのが幕府の悪巧みならば、全国同志の力をここに示さなねばいけない事でございます。

 

此事にては先日より彼是苦心 水薩へも相談仕候事有之候得共 水は東禅寺後甚六ヶ敷勢も有之、薩は今に因循に候
この事については先日よりあれこれと悩んでいます。水戸、薩摩へも相談してはいるのですが、水戸は東禅寺襲撃事件の大変難しい後処理があり、薩摩は今も因習にこだわり、ぐずぐずしていて煮え切りません。

 

実は我邸にて引受力を盡し度事に候得共、中々人数も乏敷豺狼を斃す策も出来兼候事故 右両藩へ謀候処是も如此様子にて迚も致方無之候得ば 差当り御参府に死力を出す覚悟に御座候、

本当は長州藩邸で引き受け尽力したいものですが、中々人数も乏しく悪しき獣共を倒す策も出来かねておりますので、両藩へ計画を話してもこの様子だからとても致し方なく、当面は参勤に力を尽くす覚悟にございます。

高輪東禅寺襲撃事件→水戸藩を脱藩した14名の攘夷派浪士が高輪東禅寺にあったイギリス公使館を襲撃した事件。
豺狼→山犬、狼

暢夫は地位もあり識力もある男なれば数年間面壁後 藍面人の局面を変ずる事を願度考に候処図らずも着府後は大決心仕候にて感心仕候 
暢夫高杉晋作は地位もあり見識力もある男ですので数年間藩政の勉強をすれば藍面人(※1)の局面を変えてくれる事を願い考えていたところ、思いがけずも(江戸へ)着府した後は心を決めたようで感服しました。

 

楢崎弥八郎も決心仕候三人三策を建候事にて候藍面の罪を劾奉するとか、公駕を擁し伯夷に倣ふかにて候、僕も両藩への相談相付不申候得ば早速西上先師の擁策此時に候 
楢崎弥八郎も心を決めたようです。三人三様の策を立てまして藍面(※1)の罪を調べて追及するとか、周りを固めて従わせた伯夷に倣うかと話しています。僕も両藩(水戸、薩摩への相談が申し入れられなければ、早速西に上京し松陰先生の(お考えなさった)伏見擁駕策をこの時に実施したいと思います。

伯夷→「史記 伯夷列伝第一」の登場人物

嗚呼、皇妹の御下向を止むる事もならずに徒に長門の囚奴と相成候事は何共残念に候得共大義不可逃とは此時に候
ああ、和宮様の御下向を止める事も出来ずにいたずらに長門(地名)の罪人となっている事はとても残念ですが、道義を尽くす時は正にこの時です。

 

老兄何哉御工夫可被下候 諸友人の御議論は如何男児報国此時に候 口舌以てするは却て奸吏の智を益すとの御論感心なり
何れ実行ならずば奸吏の膽を破ることならず何も
早々頓首
老兄、何かお考えをくださいませんか。周りの友人達のご意見はどうでしょう。今が国に尽くす時です。口舌を持って示すのはかえって不正を働く役人に余計な知恵を付けさせるとのご論、とても感心しました。
いずれ実行出来なければ、奴等の腹の内を明かす事は出来ません。早々頓首

 

既望 時下御厭申上候も疎に御座候
 誠
   子遠兄

八月十六日 夜   時下、お体ご自愛申し上げますのは言うまでもなくでございます。

   誠
            子遠兄

 

松洞、寺島、佐世などへも宜敷御鳳声可被下候 僕の心事御推察可被下候 源太、三右へも同断 佐世君僕の上書の末に自論相加へ入候よし難有々々

松浦松洞、寺島忠三郎、佐世八十郎前原一誠などへも宜しくお声掛けください。僕の心中をご推察ください。大楽源太郎岡本三右衛門へも同様です。佐世君は僕の意見書の末尾に自論を加え入れてくれたそうで、とても有り難く思います。

 

陸山も此大事に臨みて一言もなし失望々々 令弟東下のよし大悦申候
前田孫右衛門はこの一大事に一言もなく、とても失望しています。彼の弟は東下(都から東の方へ行く)するとの事で、大変喜ばしいです。

 

無逸の事などは利助より御聞取可被下候 必ず必ず大策御決可被成候諸友などへも左様御伝可被下候
無逸(吉田栄太郎)の事などは伊藤利助からお聞きください。必ず必ず、この大策をお決めなさるべく諸々友人などへもそのようにお伝えください。

 

長九日を以て発す去三日の朝安対に一面せしよし必ず奸謀を巡らせし事と存候 宍翁も中々感心なり長などの論不得意の由御逢なれば宜敷御鳳声可被下候

長井雅楽は九日に出発しました。三日の朝に安藤信正と面会を果たしたそうです。必ず悪巧みを巡らせた事と思います。宍翁(宍戸九郎兵衛)も中々感心であります。長井雅楽などの論、好きでないとの事ですのでお会いになれば宜しくお声掛けください。

 

僕に帰国せよとの御事御親切には候得共僕中々左様には不相成候
此内より毎々周布なども帰国をすゝめ候得共 中々帰る事はならず知行を奪ふとなりとも家を滅するとなり共可被成僕格別の思召を以遊学被仰付一年ならずして帰り候とも学問も出来ず盛恩に答ふる事もならず候得ば決而帰る様にはならぬと申置候也

僕に帰郷せよとの貴方の思いやり深さには思いますが、中々そのようにはなりません。
この間から度々周布政之助なども帰郷を進めますが中々帰る事は出来ず、職務を失うとなっても家が滅するとなっても、僕は格別の思し召しにより遊学を仰せ付けられております。一年も経たずに帰ったとすると学問も出来ずその恩恵に応える事も出来ずですので、早々に帰る事はしませんと申し置きました次第です。

 

  昨夜よめる
 何事の思はるゝかはしらねども月見るさへもうら傷ましき

昨夜(和歌を)詠める
何事の思わるるかは知らねども月見るさえもうら痛ましき

 

良蔵より桂の書簡一見して公武合体なり僕等の論不得意との事致方も無之候 長門の人者駑馬の如し平地なれば疾馳れども険阻なる地に出逢ば一足も行踏不申候可嘆

来原良蔵から桂小五郎へ届いた書簡、一見して(した印象では)公武合体派です。僕らの論は好まないとの事で、致し方の無い事です。

長門の人は駑馬(どば)に似ています。平地ならば速く駆ける事が出来るのに、地形が険しい場に遭遇すると一足も踏めなくなるのが嘆かわしく思います。

 

 


※1「藍面人」について。

これは松陰の漢詩から来ているようで「藍面疑有人 頗似宣慰行」とあり、暗に長井雅楽を指している由。唐の李希烈に準えているようだ。

出典を遡ると「十八史略」で奸臣とされる盧杞を指した「杞藍面鬼色 有口辯」の引用か。十八史略」なら当時基礎教養だったので確実に松陰や玄瑞は読み込んでいたはず。

髭で顔が青く見えたという説もありますが、有名な漢籍で藍面鬼色=口の上手い奸臣と結び付けられているので、藍面人と書けばニュアンスは伝わった…?