おべんきょうノート

自分用です。

安政6年5月東行前 松陰→杉蔵、和作

吉田松陰より、子遠兄弟への書簡。らしい。

江戸に召喚される直前、長州萩にて親戚門下諸友に決別の遺書として書き与えたもののひとつ。同じ様な文面の遺書がいくつかあって正確にはどれかわからないので、タイトルを一番確率の高い杉蔵宛にしています。

内容はヤジの事。

 

【追記】
吉田松陰全集にある「品川思父に輿ふ」の本文もほぼ同じ

画像を貼り付けていないので文並びに「ん?」となるかと思うが、1、3、5、7行のカタカナの部分を先に書かれ、間を後入れで書かれたものだと考えられる。

これは書き足りないことがあれば次の紙を使うのではなく、最初に戻って書く場合があり「返し書き」と呼ぶ。返し書きでそのスペースが埋まってしまったら、すでに書いてある行の間をぬって書くこともある。
反対側から書き添える事もあり、やり方は人によりけり。


逢事ハ是ヤカギリノ旅ナルカ
是出私情思父婦人耳何足言然思父決不然
世尓限リナキ恨ナルラン
不能子遠言之詳悉是所謂思父有情無辭者耳
何トナク聞ケバ涙ノ落ルナリ
(一)涙反従恥字出最妙 此志眞箇可愛豈得不足哉
イズレノ時カ恥を雪かん

逢事ハ是ヤカギリノ旅ナルカ世に限リナキ恨ナルラン※1
何トナク聞ケバ涙ノ落ルナリイヅレノ時カ恥を雪かん※2
これが個人的な感情から口にしたものであるならば、思父品川弥二郎女々しいだけで言うに足らないとなるが、思父は決してそのような男ではない。

ただ、子遠(入江杉蔵)のようにこれを詳しく伝える事もできない。所謂、思父は自身の気持ちを上手く言葉にする事が出来ないだけである。
『涙』から『恥』という字に返して感じ取ることができるその心は実に尊いもので、言うに足らないなどとは言えないのではないか。


思父有情無辞、臨別能爲此語可知辞自情出然有兩途辞僅、六十二字情豈千萬無量然真哀此辞者吾与子遠兄弟而己故手録寄之 
松陰

弥二は心余って言葉にならず、(松陰との)別れに臨んでこの和歌を作った。まごころからこの言葉が出たことがわかる。二首の和歌は僅か六十二文字ではあるが、その中にある情感は千万無量であり、本当にこれらの和歌は哀切である。この和歌を私は子遠兄弟に与えようと思った。故にこのように記して寄せる。

松陰

 

和歌の訳も添えておきます

※1 逢事ハ是ヤカギリノ旅ナルカ世に限リナキ恨ナルラン
※2 何トナク聞ケバ涙ノ落ルナリイヅレノ時カ恥を雪かん


お会いする事は今回限りとなる旅立ちになるのでしょうか、非常にこの上ない悔いを残します。

他愛のない事を尋ねても涙が落ちてしまいます。いつの時代か、きっとこの恥をすすぎ(不名誉を取り除き)ます。