おべんきょうノート

自分用です。

安政6年4月13日 高杉→久坂

江戸から山口まで手紙が届くのにどれだけ急いでも2、3週間は掛かると思われる

今以御手間御送無御座。少々は不平にて御座候。陳は貴兄御起居如何、此節は山口より御帰萩被成候哉、万端承度候。私儀も碌々食飯居候。此節日夜強気起り、一日も君之為めに死度心持相成、何乎宜鋪死に場無御座候哉。

未だに手間(手間賃を払って雇われた人)をお送りでいらっしゃらず、少々不平(要求が満たされず不愉快)でございます。貴方の状況がどうなのか教えてください。近いうちに山口より萩へお帰りになられるか、その事をお聞きしたいです。私も特に何も成せぬまま碌を食んでおります。近頃は昼夜活力が起こっており、いつでも主君の為に死ねる心持ちとなり、どうか見合った死に場所はないのでしょうか。

 

貴兄爰元に御出向なれば、一つ御議論仕度候。とても生ても十年、廿年には吾事不行、区々俗吏手さきを仕候事はきらいに御座候。此間より少々方外之志を起し申候。何分日夜心中動揺致し込入候。

貴方がこちらにご出向になれば、一度ご議論したく思います。精々生きても十年、二十年後には私(のしたい事)も行えなくなり、纏まりのない役人達の手下をするのは嫌いでございます。この間より少々他藩が動きを見せ始めております。何やらずっと焦りからか胸騒ぎがしています。

 

○桂氏は如何、帰萩以来書簡不来、格別御国にて議論之御座候様子不承、未た俗吏を離るゝ事がをしきの乎承御座候。桂には別に書簡不送候間、貴兄より右之通御伝言奉頼候。

(小五郎)さんはどうですか?萩に帰って以来手紙も来ず、特に萩で議論をしている様子も耳にしていません。未だ役人職から離れる事を惜しいと思っているのかお聞きしたいです。桂さんには別に手紙を送りませんので、貴方から以上の通りに伝言お頼み致します。

 

○中谷氏は如何、中谷京師周旋之事を思召し感涙之、金之ついへを不厭、勉強被致候処、真に忠臣私儀不及申候。此度京師にても、中谷一番骨折と奉存候。

中谷(正亮)さんはどうですか?中谷さんは京内で周旋を考えており感動致しました。金の損害も厭わず、努力なされ励んでいるところ、本当にその忠義心は私も及びません。この度の京においても中谷さんが一番骨を折っている(苦労をしている)と思います。

 

○貴兄中村道太なとゝ御交わり御座候哉。若しも中村道太連中と御付合御座候上は、私は絶交奉希候。彼の人之噂を追々承り、益不忠之人なることを知り候。

 貴方は中村道太郎らと交流がございますか?もしも中村道太郎達とお付き合いがございましたら、私は交わりを絶ってほしく思います。あの人の噂を段々とお聞きすると、公への忠義よりも利を取る人だと知りました。

 

天下も天下、御国も々々、死する方が宜鋪と被思候。不死は山中に隠居するが可なり。口羽にも甚だ無沙汰仕候。御相対御座候得は、御伝声奉頼候。

天下も天下だし、お国もお国、いっそ死んでしまった方が良いのではと思われます。死なないなら山奥に隠居するのが良いでしょう。口羽(徳祐)君とも非常にご無沙汰です。お会いする時がございましたらお伝えいただくようお頼み致します。

 

口羽も御役御ことはり致し、領分之塾に入り、御両国に英傑一人も多く相成候様、勉有度事に御座候。是亦御伝声奉希候。

一、 半井可愛。
一、 杉蔵兄弟可愛之甚なり。

其外可申上事無御座候拝。

四月十三日        晋作春風

口羽君もお役目を断って領分の塾に入り、双方に優れた人材が一人でも多くなるよう、勉強致しき事にございます。これもまたお伝えください。

一、 半井(春軒)を気に掛ける事
一、 杉蔵、和作の兄弟もとても大切にするべきです

その他は申し上げるべき事はございません。拝

四月十三日              晋作春風

 

二白、幾重も御病気御用心専一之様奉祈候。赤川直次郎如何の人か、申口口御相対御座候はゝ御伝言奉頼候。〈半井・栄太・杉梅・小田村〉松下塾へ宜鋪御伝言奉希候。

玄瑞様  御そんしより

追伸、重ね重ね(申し上げますが)ご病気のご用心を一番に考えるようお願い致します。赤川直次郎がどのような人物なのか、申し口、口約束で直接お会いでしたらご伝言お頼み申します。〈半井・栄太・杉梅太郎・小田村〉松下村塾へ宜しくご伝言お願い申し上げます。

玄瑞様  御そんしより