おべんきょうノート

自分用です。

安政6年5月13日 松陰→(高杉?)杉蔵

*杉蔵への追伸より前の高杉宛文章全部が墨で大きく擦って消されている(高杉が目にしたかどうかは不明?)

*栄太郎の別紙は今は見つかっていない

 

四月七日の書至り拜復仕り候
人物月旦一々的當、但し日下は大いに前日の老成見を悔ゆるに似たり 之に因り僕への不滿も追々解ける 然る上は僕素より敬愛するなり 御安心下さるべく候

四月七日の手紙が届き、謹んで返信致します。

人物評、ひとつひとつ端的に説示。但し久坂は先日の老成見(古い見識)を後悔しているようだ。これにより僕への不満も徐々に解ける、(そうであるならば)僕は元より(彼に対して)尊敬と親しみの気持ちがあるのでご安心ください。

 

◯子遠は卽ち杉蔵の字、杉蔵・和作兄弟頼むべし 此の節在囚讀書甚だ力む ◯來原自ら人物なり 人物論人々少異あり 所謂相ぶすとか申す氣味なれば强ひて同じうせずして可なり ◯桂實に事を濟すの才あり 膽略と學問と乏しきは残念なり 此の節大いに挫けたも膽學乏しき故なり

◯子遠とはつまり杉蔵の字(あざな)、杉蔵・和作兄弟に期待している。近頃は獄内で読書に非常に意気込んでいる。◯来原は飾り気のない人物である。彼の人物論は人により少々異なる。所謂、朋党という傾向になっていれば無理に親しくせずともまぁ良し。◯桂は実に事を為す才能あり。大胆さと学問が足りないのは残念だ。最近大いに勢いが弱ったのもそれらが足りないからである。

 

◯無逸の別紙御目に懸け候 此の生の事僕日夜憂念致し候 此の生歸國の初め僕舊知を恃み、過直面折せし事どもあり 其の言半當半否あらん 是れより此の生怒を挟みたるかと自ら悔い候事ある故、僕心事重ねて書付け遣はし候所、別紙のごとく相答へ候

◯無逸(吉田栄太郎)の別紙(の内容)を見てほしい。彼の事、僕は昼も夜も心を痛めている。彼が帰国した早々僕は旧知に頼み、立ち寄って直接面会した事もあり、その時の言葉には半当半否(道理に合う事と合わない事)があった。これから先彼は怒りの感情を挟んでしまったかと反省する事もあるから、僕は心の中で思っていた事を書き付けて送った所、別紙のような答えが来た。


實に其の母に忍びず、俗吏になるに決したる事と相見え候 是れも尤もなる事にて、此の生在府中狂祖母物故、狂祖母在世中母の辛苦は容易ならざる事は僕も親しく見る所、今日は母を安んぜねば成らぬ次節なり

実にその母(の姿)に我慢出来ず役人になると決心したと見える。これも納得出来る答えであり、彼が江戸で在勤中、祖母が狂人認知症か?)となったので祖母の存命中は母親の苦労は容易くなかったと僕も想像する所、今は母親を安心させなければならない時である。

 

  小生此の節の状態議論
御發駕後大いにはずみがぬけ何事も致し度くなく、生きても居り度くなく候所、漸く心を落付かせ候へども、所詮眠たくて讀書も多からず、研究の心も大いに乏しく、只だ樂ずきに成りたり

  僕の近頃の状態議論

お発駕後、とてつもなく意欲が失せ何事もしたくなくなり生きてもおりたくなくなっていて、ようやく心を落ち着かせたけれども結局は眠たくて読書も多くなく、研究心もとても乏しくただの楽好き(怠け者?)になった。

 

是れも憤勵せば出來ぬ事もあるまじきけれども、此の所にて却つて妙あらんと案じ付き、只々適意にして居る 近來は怒氣も大分減じたり 筆耕位の事を業とする積り思ひ立ち候

これも奮励すれば出来ない事でもないが、今になって逆に有効ではないと考え、思うままに過ごしている。最近は怒りもだいぶと減り、筆耕のような事を仕事にしようと思い立った。

 

左候て今數ヶ月在獄して今の役人の居らぬ様に成つてから放歸を賜はば、其の時こそ老兄等に談じ度き事もあるなり 無逸等其の時の相談に加はりて呉れかしと日夕祈り候へども、是れは人に告ぐべき事にもなく、十數年後の事、今より豫定も出来ざれば心のみなり

そうして今、数ヶ月在獄して現在の役人が居ないようになってから釈放とされたならば、その時こそ君達に相談したい事もある。無逸などはその時の相談に加わってくれないだろうかと昼夜願っているが、これは人に伝えるべき事でもなく十数年後の事。今より予測も出来る事でもないから、心に留めておくだけだ。


  貴兄の御上の論
右に付き貴兄も時を待つ亦妙 貴兄關東の遊甚だ妙 夫れからは就官畜妾并びに妙 子生れ官達すれば一通り父母への孝は立つなり

  君の御上の論

右に付き、君も時を待つのも良い、関東へ遊学するのも良い、それからは官職に付き妾も持つのも良い、子が生まれ官が達すれば(出世すれば)一通り父母への孝行は立つだろう。

 

夫れからは君に忠せねばならず、御小姓にても同志兩三人程あらば時を以て御上へ赤心を徹し置き、扨て夫れから同僚と大喧嘩にてもして役目を退き、夫れより大いに修行を致しかへ眞人物になり、其の上にて忠義する手段あらん

そして藩公に忠義を尽くさねばならず、御小姓にでも同志二、三人程いればその時より御上へ赤心を貫き置き、それに加えて同僚と大喧嘩でもして役目を退き、大いに修行をして真人物になり、その上で忠義を行う手段がある。


右兩條の論、僕此の節初めて見付けたり 是れが所謂不緇不磷の人にてなくては申し難く候 時を待つと云ふも色々あり、一身の時あり、天下の時あり 屹と見込さへあれば待つにしかず 併し天下の時は待ち難し 一身の時をば待たねばならず

以上二条の論、僕は最近初めて見つけた。これが所謂「黒くならず薄くならず」の人物でないと言いにくい。時期を待つといっても色々あり、自分一人の時があり、国全体の時があり、キッと(未来を見定め)見込みさえあれば待つのが一番だ。しかし国全体の時は待つのが難しく、一身の時を待たなければならない。

 

又御發駕迄は僕は獄に安坐して人に遣わせる積り、今は大いに之れを悔い、我が一身の働く時を待つて自ら采弊を取つて行かねば誰れか是れを信ぜんや 右に付き小生脱囚の御周旋どうぞ先づ御やめ下さるべく候

またお発駕までは僕は獄に安座して人に遣わせるつもりだった。今はとてもこの考えを悔い、我が一身の働く時を待って自ら采配を取って行かねば、誰が僕を信じるだろうか。右に付き、脱囚のご周旋はどうぞおやめください。

 

今囚にあるが天の義卿に福する所以なり 今では義卿を憐む人あり、憎む人あり 何十年もすると一統憐む様になるべし 其の時を待つて出すも未だ晩からず 僕今公に報じ奉るは當御發駕までなり 最早如何に思つても術なし 責て他日江家に負かずして知己の恩に報ぜんと落着仕り候

今世間の評価にある「義卿」に服従する理由は囚人の身にある。現在では自分を憐む人がいて憎む人がいる。何十年もすると一層憐むようになるだろう。その時を待ってから出るのもまだ遅くはない。僕が藩公(のご恩)に報いたのはお発駕までである。最早どう思っても手段がない。せめて後日江家(毛利家)に背かずに知己の恩に報いようと決めた。


  周布へ僕眞の心事を吐かうかと思うても居り候 如何
周布吾れを愛するをも知る、周布の英物たるも知る、周布の苦心尤も知る 今にて去年中の事を囘顧するに周布の過あり、義卿が過あり、其の間に周旋したる諸人の過あり

  周布へ僕の心中を吐こうかと思ってもいる。どうか?

周布が僕を可愛がってくれているのも理解している、周布が才能や人格などに優れているのも理解している。周布が事を成し遂げる為に心を砕き苦労しているのも当然よく理解しているが、今になって去年中の事を回顧すると周布の過失があり、自分自身の過失があり、その間に周旋した多くの者の過失があった。

 

周布自ら尊大にして人を小兒の如く視るは却つて妙 吾れ年少なれば曾て陵忽せず 但し實情を吐かずして始終虚喝にて人を欺きたるは周布の過、我れ又是れに欺かれ丹赤を瀝ぎしは愚といふべし

周布自身が偉そうに他人を子供のように見るのは逆に不思議である。僕は年下であるから今まで一度も邪魔をしなかった。しかし実情を吐かずに始終虚勢を張って人を騙したのは周布の過失。僕もまたこれに騙され信頼をそそいだのは愚かと言えよう。

 

我れ随分聞きわけのよき男なれば、周布が初めに實情を吐きさへすれば敢へて奇異過高の論も發しはせぬなり 欺くも人を知らぬなり、欺かるるも人を知らぬなり 其の間に清狂あらば必ず調停の術あらんものをと存じ候なり 吾れ實に周布を怨みず 然れども實情はどうも周布に屈したくなし

僕は随分聞き分けの良い男なので、周布が先に本当の事情を説明さえすれば敢えて反論も発しはしない。騙すにも人柄を知らない、騙されるにも人柄を知らない。(僕と周布の)間に清狂(月性)がいればきっと調停の術があるものだと思う。僕は本当に周布を恨んではいない。しかし本心はどうも周布に屈したくないのだ。

 

故に終身在繋が周布の力にて脱囚するより増り候なり 今より後周布も吾れを度外に置けかし、吾れも周布を度外に置くなり 周布は自ら周布の妙なり、義卿は亦義卿丈けの妙あり

故に一生獄に繋がれている方が周布の力で抜けるより良い。これより後、周布も僕を構わなくなるだろうし僕も周布を問題にしないのだ。周布は周布自身の素晴らしさがあり、義卿はまた義卿だけの素晴らしさがある。


彌次郎大いに是れ有情の少年、愛すべし愛すべし 小生杉蔵兄弟共に同志と大いに隙を生じた時も、終始一意兩獄を往來して萬事周旋して今日に至るまで書籍其の外大抵渠れが力にて讀むことを得たり

弥二郎はとても情に溢れた少年、可愛がり認めること。僕が杉蔵兄弟と共に同志と大きな不和を生じた時も終始両獄を往来し、現在に至るまで色々と周旋して書籍やその他の事も大体彼の力で読むことが出来ている。

 

徳民・作間兩人彌次と全く同意 此の三人少年なりと雖も恃むべし 日下・福原大いに同意、有吉なども相信ずる様子 福原存外に確乎たる議論あり 感心 此の三人は近來の事にて未だ僕底薀の論を語るに暇なし 杉蔵は沈着の性、和作は發逸の性、皆妙 傳之輔は働く男なれば、獄に坐し書を讀む等は其の長ずる所にあらず

徳民・作間の二人、弥二と全く同様。この三人は少年であるといっても期待出来る。久坂・福原も同様、有吉なども信頼できそうだ。福原は意外に確固たる意見があり、感心している。この三人は最近の事でまだ僕の奥底にある論を語る時間の余裕がない。杉蔵は沈着(落ち着いており何事にも動じない)の気質、和作は発逸(優れた行動力を持つ?)の気質、皆素晴らしい。伝之助は働く男なので獄に座し書を読むのは得意ではない。

 

佐世が相替らず誠實の武士、此の節、崎に在り 岡部富太去臘の氣魄諸子に冠たり、此の節少々衰退かと察せられ候 併し此の男は駕馭しやすき男、偏執少なし、棄つべかざるなり
此の他は丸で存ぜず候

   五月十三夜        松陰
 暢夫高賢兄  座下

佐世が相変わらず誠実の武士、今は崎(長崎)にいる。岡部富太郎の大晦日の気迫は君達の中で一番だったが、最近は少々衰退していると察せられる。しかしこの男は制御しやすい男、片意地も少ないので放っておかないように。

他はまるで知らず。

   五月十三夜        松陰
 暢夫高賢兄  座下

 


此の書認め置き候へども、此の事到來の上は時勢大いに變ず、此の書に及ばざるなり 足下へ預くべし
 子遠 足下

この手紙を書き置いたが、届いた時には時勢も大いに変わり、この手紙だけでは足りなくなるだろう。君へ預けておく。

 子遠 足下