元治2年3月1日 土方→佐藤
多摩デジタル新撰組資料館
小島資料館 所蔵資料
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/1391015100/1391015100200020/ht160018
○後日読み直します◯
春暖之節御坐候処、愈御安康御座成させらるべく候と恐寿奉り候、随て当方一統無事御休意下さるべく候、
春の暖かさを感じる季節でございますところ、一層ご安泰でお過ごしなされている事と恐縮ながらお祝い申し上げます。我々一同も変わりなく過ごしております、ご安心ください。
一 局旅宿之義、追々多人数相成り候て何分人数詰兼候、これにより来る十日頃には西本願寺講堂と申す所え旅宿替り相成候間、若御用簡も御坐候はば右の所え向け書状御差出下さるべく候
一 旅宿の部屋の件、徐々に人数が増えておりましてとにかく(部屋の大きさに対して)人数が詰めかねております(手狭という事)。これにより十日頃には西本願寺講堂という場所へ移動致しますので、もしご用件がございましたらそちらへ向けてお手紙を差し出してください。
一 然とも相分らず候得共大和十津川と申す所え浮浪の者共相集り候様伝聞仕り候、其外摂州妙けん山えも相集り候様伝聞致し候、此の如く形勢にては又、遠からず一戦もこれ有るべくと存じ奉り候、然しながら右様形勢差詰り候に未だ、関東においては御老中様初メ大小名にも御心中え入らざる事と存じ奉り候
一 正しい情報かは分かりませんが、大和(奈良県)十津川という場所に浪人達が集まっているようだと伝え聞きました。その他摂州国(大阪府)妙見山へも集まっているようだと聞きます。このような様子では、また遠くないうちに一戦もあるだろうと思います。しかしながらこのような情勢が差し迫っているというのに、未だ関東のご老中様を始め大名、小名にも(この情報は)入っていないと思います。
小子共おいても誠に残念存じ奉り候、然しながら何の思し召しこれ有る哉、御地御風評承知仕り度、
私達においても実に残念な思いです。しかしながら何かお考えがあるのだろうかと、そちらでの噂なども知りたく思っております。
一 此度又も御老中様内豊州へは御東下相成御上洛在らせられず候ては、実に恐れ入り奉り候儀には御座候得共、関東の御思し召し之儀も一口も相立てざる事と、恐察奉り候
一 この度またもご老中様内で豊前国(福岡)へのご東下となり京にいらっしゃらないのは実に申し訳の無い件ではございますが、関東のお考えの件も一言も立てられない事とお察し致します。
殊に小子共も関東おゐて尽忠報国の者と御つのりに相成候はば、尽忠も重し、報国も重し何は何と分別も致しがたく候、何卒 徳川家の御衰ウン今壱度此所に於いて引き返し尽忠報国の四字も衛忠勤致し度候、
特に私達も関東で尽忠報国の者とお集まりになりますので、忠義を尽くす事も重要、国に報いる事も重要でそれぞれ区別して考えるのは難しく、何とか徳川家のご不運をこの機会に巻き返し「尽忠報国」の四字を守って忠義を尽くし勤めたく思います。
一 常野ノ大将武田初メ半分程井伊并に若州ノ
手に首打たれ候様相成候、誠に右様の者共位は関東
にても如何存じ奉らず候得共、洛近おいて小子の如く相心得候、先は申し上げ度此の如く御座候
恐々不備
三月朔日
𡈽方歳三
花押
佐藤兄
一 常野の大将である武田(耕雲斎)を始め半数程は彦根藩並びに若狭藩(福井県南部)の手で斬首となったようです。実に右のような者共の立場なら関東であっても(処置が?)いかがかと思ったりはしませんが、京付近では私も同様なのだと理解しております。まず申し上げたい事は以上でございます。
恐々不備
三月朔日
𡈽方歳三
花押
佐藤兄(彦五郎)
尚々御全家統中えよろしく、二に石田為兄幷に五右衛門老人えもよろしく願上げ奉り候、
一 小嶋えは別段形勢記さず候間、貴兄より
なお、ご家族の皆様へ宜しく、次に石田為兄(為次郎)並びに土方五右衛門翁へも宜しくお願い申し上げます。
一 小嶋へは別の手紙は記しませんので、貴方より(宜しくお伝えください)