おべんきょうノート

自分用です。

安政6年正月19日 松陰→杉蔵

*当時赤禰の名前は幹之丞とされているが文語文では武人になっている。原文未確認

  十九夜
大樂源太郎・赤根武人・傳之助・和作四人免罪の事、大高より宍戸翁へ論じ込ませ候策は之れなくや

  十九夜
大楽源太郎・赤根武人・傳之助・和作、四人の免罪の件は大高から宍戸翁へ言いくるめさせる策はないだろうか。


余が説一概に御参府を拒む様に思ふは非なり 今の江戸方にては御参府は出來ぬと申す事なり 幕府の信義を顧みざる様に思ふも非なり 今の江戸方にては天朝へ忠節相立たざるなり

僕の考えが一般的にご参府(江戸行き)を拒んでいるように思うのは間違いである。今の江戸方(行相府役人)ではご参府は出来ないという事だ。幕府の信義に気を配ろうとするのも間違いである。今の江戸方では天朝天皇、朝廷)へ忠義を尽くす事は出来ない。


國中勤王の士さへも一々譴罰する政府にては何事も出來ざるなり 兎角御参府の有無は第二義なり 眞に勤王すると勤王せぬとの堺肝要なり 山城國伏見驛は天下の中央なり

萩内の勤王思想を持つ男児にさえもいちいち過ちを責めて罰する政府では何事も出来ない。とにかくご参府の有無は主眼の点ではない。本当に勤王する、しないの境界は非常に大切である。


天下の中央にて堂々たる江家へ大恥曝さすることを好むは吾が志に非ざるなり 故に必ず御参府なくては幕府へ信義相立たずとならば、先づ撰充を議すべし 然れども撰充恐らくは出來ぬ事ならん

天下の中央に堂々とした姿を現し示す江家(毛利家)へ大恥を曝す事を自らするのは我が志に反する。故に必ずご参府しないと幕府への信義が立たないというなら、先に撰充(役人を入れ替える事)を話し合うべきだ。しかし撰充はおそらく出来ない事なのだろう。


然る時は御参府は遂に出來ざるなり さて撰充出來候とも参府は大役なり 其の大役たる事は撰充出來候上には随分申すべく候 

そのような時はご参府はついに出来ない。ところで撰充が出来ても、参府は重要な役目である。その役目を充分に果たすには撰充が出来る上であると精々伝えよう。


併し當今權謀術數の世に候へば、是れ等の論むざと御吐き然るべからず候 桂・小田村の説承りたし 其の他聞くを欲せざるなり

しかし当今、権謀術数の世であるからこれらの意見を易々とお吐きにならないように。桂・小田村の考えをお聞きしたい。その他の事は聞きたいと思わない。