おべんきょうノート

自分用です。

文久2年11月21日 弥二郎→父

要約:外国公使暗殺未遂事件後の処遇など

寒冷の節に御座候えども、いよいよ御安泰成さるべく御所義珍重存じ奉り候。

寒冷の季節でございますが、ますますご安泰となされるご様子でとても喜ばしく思います。

 

さては私義過る十三日少々存じ付き候事これあり、別紙人数申し合わせ神奈川駅まで罷り出候ところ、右の次第、

さて私事ですが遡る事十三日の事、気付いた事があります。別紙の人数で申し合わせ神奈川駅まで参上しましたところ右の次第です。

 

若殿様御国より達し同夜中、御出馬これあり、大森梅屋敷まで御出でこれあり候由につき、やむえぬ事梅屋敷まで罷り帰り候ところ、十一人一同、若殿様御前へ御召し出し色々と御議論あそばされ、ひとまず御屋敷へ帰りくれし候様、御意あそばされ候につき、存じ候事も空しく相成り、御屋敷へ帰り申し候。

若殿様(毛利定広)が国から伝え知った日の夜中にご出馬になられ、大森梅屋敷までお出でになられたと聞き、仕方がなく梅屋敷まで帰ったところ、十一人一同、世子様の御前へ呼び出され色々とご意見をいただき、一先ず桜田門上屋敷へ帰るよう仰られたので、思っていた事も実現不可能となりお屋敷へ帰りました。

 

若殿様御前召し出され候節、色々有り難き御意これあり、皆々袖をしぼらぬものはこれ無き候。実に恐れ多きとも有り難きとも、中々紙上に書き難く候。

世子様の御前にお呼び出された時は色々と有難いお言葉があり、皆感動しない者はいませんでした。誠に恐れ多いとも有難いとも、中々紙上では表し難い感情でございます。

 

御屋敷へ帰り候ては北御物見大和弥之助様御固屋に十一人一所に罷りおり申し候、一昨日までは上より御賄いにてこれあり候ところ、立ち下され月別士分は金二両宛、陪臣へは金壱両宛立ち下され、実にもって恐れ入り候事に御座候。

お屋敷に帰ってからは北御物見 大和弥之助様のお小屋に十一人、一箇所にいました。一昨日までは上より賄いがありましたが、親身にも月別として士分は金二両、陪臣へは金一両直ちにくださり、実に恐れ入る事でございます。

 

御地では嘸々色々と評判仕り候わん、爰元にては何事もござ無く候間、御気遣い成さるまじく候。実に不審事御厄害引き出し幾重にも恐れ入り奉り候間、その内、時候御厭い肝要に存じ奉り候。

萩ではさぞさぞ様々な噂があるでしょう。この辺りについては何事もございませんので、お気遣いなさらないでください。本当に嫌疑を受けた事でご迷惑を掛けてしまいとても恐縮しておりますが、その内寒さも強くなりますのでお体大切になさりますよう。

 

別紙

尾川弥一郎、藤村政太郎、前の又直郎いづれも無事罷り在り候間、この段御伝え祈り奉り候。

勅使御入城もただ様、延引相成り明後日より御入城の由に御座候。

尾川弥一郎、藤村政太郎、前の又直郎、いずれも無事でありますので、この件お伝えいただきたく思います。勅使ご入城の状況は、延期となり明後日よりご入城との事でございます。


公儀人

大和弥八郎、故御小姓 高杉晋作、長嶺内蔵太、志道聞多、久坂玄瑞寺島忠三郎、有吉熊次郎、浦靱負家来 白井少輔、赤根幹之丞、故繁沢家来 山尾要蔵。