おべんきょうノート

自分用です。

2020-01-01から1年間の記事一覧

明治2年8月25日 大村→琴

御地皆様御無事にそんじ候 此方も七月廿七日東京発足、木曽路通り無事に八月十三日京着致し候 そちらの皆様もご無事と存じます。こちらも七月二十七日に東京を出発、木曽路を通り、無事八月十三日に京へ到着致しました。 御用有之、廿日に下坂 尚又、御用相…

慶応4年3月6日 世良→寺内

大坂からの手紙 拝啓 此度朝廷の御勘渡金御下渡の事、九条殿付の芸人・戸田大和守家人両人え相尋候所、夫は朝廷より直二御渡方相成候訳にて、右両人之ものは関係不致由 拝啓 この度、朝廷のお勘渡金を下ろし渡す件、九条(道孝)殿お付きの芸人と戸田大和守…

福勝寺・竹林寺・法輪寺に行ってきた

写真とメモのみ。 福勝寺 福勝寺には古高俊太郎の遺髪墓があります。 拝観は通常不可。1、16日のみ可。 風が吹くと卒塔婆がカラカラカラ…と鳴り、とても静かで厳かな場所でした。 竹林寺 門の脇には「正四位平野國臣外三十餘士之墓」と書かれた石碑、内部に…

三縁寺に行ってきた

8月初旬、池田屋事変殉死者へのお墓参りのため三縁寺へ。 叡電鞍馬線へさぁ乗り換えるぞと地上に出たところで突然のどしゃ降り☔️ドドドド…本当に突然の雨率が多い(雨女かもしれない) 到着する頃には雨も治まって、今のうちにと早足で向かいました。 去年秋…

慶応元年閏5月20日 世良→大村

以手紙致居達候 然は、先達てゲベール二百挺之辻御買得被下候様にと、馬関え申越置候処、如何{ この間欠 }様子承り候 手紙にてお伝え致します。先日ゲベール銃二百挺の件でお買入れくださるようにと馬関へ言って寄越したところ、どのように{ この間欠 }…

慶応元年5月9日 世良→入江(和作)

下関豪商の入江和作宛 尓後御健固ニ御周旋被成候半と不堪欽然候 然は近日上茶之分積廻し致せ候間、御取捌可被下候様、御頼致候 その後精力的にご周旋なさっている事でしょうと(思えば)喜びが堪えられません。それでは近日上茶の積荷を送るよう致しますので…

文久3年4月28日 淵上(郁)→淵上(謙)

依幸便一書啓上候、時下薄暑之砌に御座候処愈々御安康之由大賀存候 此方に於ても無異消光罷過候条御安心可被成候 幸便にて一書申し上げます。夏が始まり薄らと汗ばむ季節でございますところ、より一層平穏無事とお聞きし大変喜ばしく思います。こちらにおい…

安政6年2月25日「赤根武人に與ふ」

吉田松陰→赤禰武人 已んぬるかな、已んぬるかな 肉食者は鄙なり、國其れ喪びん 然りと雖も草莽安んぞ瑞穂を食するの民なきを知らんや 況や 今上聖明にして、公卿人あり、加ふるに吾が公勤王の志尤も深きを以てす、則ち瑞穂の民、何ぞ獨り草莽のみならんや も…

石山寺に行ってきた

元来33年に1度開帳される御本尊二臂如意輪観音菩薩(2016年開帳)が新天皇御即位された翌年という事で開帳されると聞き、滋賀県石山へ。 めちゃ綺麗に撮れた…(自賛) 徐々に薄暗くなってくる天気。マスクしているにしては風もあるし涼しい気候。 鯉の標準サ…

久留米天保学派

これからまとめるページ 参考文献:久留米人物誌 弘化元年六月、弥作君が十代藩主頼永となると、村上は納戸役格に進み、旧制調役を仰せ付けられ、藩祖豊氏以来の藩制規則をことごとく編集した。この書はそののち藩制の標準となった。頼永の信任に感激した村…

安政5年 弾正益田君に奉るの書(抜粋)

東行net:http://www.togyo.net/cgi-bin/togyo/shinsaku/index.php?c=8-21 「弾正益田君に奉るの書」は高杉晋作 「暢夫の対策を評す」は吉田松陰 対えていわく、昔王通言あり、夷狄の徳、黎民これを懐う、三寸それこれを捨つ、某常におもえらく、虚語にあら…

安政4年正月26日 松陰→月性

松陰 在萩 月性 在京 改歳已來大いに御無沙汰打過ぎ申し候、眞平御海恕下さるべく候 舊冬は安藤・廣瀬二家澁木生を哭する詩御贈致下され、難有く御厚情謝し奉り候 廣瀬の詩殊に其の用意に服し候 年明け以来長らくご無沙汰でおりました、どうぞ(海のように広…

安政4年9月2日 松陰→桂

杉原辰之助組の者自稱吉田氏 榮太郎秀實は無逸 此の生僕甚だ愛する所、前途期すべし存じ候 僕鑑定の處は此の生の名字説其の外書き與へ候詩文にて御承知下さるべく、老兄御目鏡に乗り先々有用と思召され候はば、然るべく御教示頼み奉り候 杉原辰之助組の者、…

安政3年3月5日 清内、栄太郎→大野親子

筆跡は清内 音三郎は後に栄太郎(安政3年11月25日入塾)の勧めで村塾へ入る 一筆啓上仕候 春暖之節に御座候得共、先以尊君様・御満家中様御安泰可被成御座珍重至極に奉存候 一筆申し上げます。春暖の候にございますが、まずは大野様、ご家族様ご安泰になられ…

安政6年2月某日 松陰→岡部

子揖・杉蔵の妻を持つは 尤も杉蔵近来親迎説はやめたか承りたし どうも其の説を得ず 説あらば知らせよ 富太は大俗物とか、杉蔵は勤王の事は言わぬとか、今日は大丈夫そんな閑言語、へらず口を開く時には之れなく候 子揖・杉蔵の妻を持つという 杉蔵は最近親…

安政6年2月下旬 松洞⇆松陰

黒字は松洞筆、赤字は松陰筆 松洞が書簡を送り、松陰が行間に返事を書いた 松陰先生 座下 ‪御喉風驚き入り奉り候 大高其の外出でず、気遣ひはなしと云ふことは決して御座なく候 只だ政府に然るべく處置する人乏敷きを以て要駕は不同意と申す事に御座候 松陰…

安政6年2月中旬頃 松陰→小田村

士毅村先生に與ふ 天下大快活の事なく、又大快活の人なし 子遠已に然り、其の他何ぞ説かん 僕子遠を信ずること甚しきに過ぐ 是を以て固執爭辨比に至る 士毅村先生に与える 天下は晴れ晴れとせずまた生き生きとした人もいない。子遠も既にそうなっており、そ…

安政6年正月19日 松陰→杉蔵

*当時赤禰の名前は幹之丞とされているが文語文では武人になっている。原文未確認 十九夜大樂源太郎・赤根武人・傳之助・和作四人免罪の事、大高より宍戸翁へ論じ込ませ候策は之れなくや 十九夜大楽源太郎・赤根武人・傳之助・和作、四人の免罪の件は大高か…

安政5年12月16日 松陰⇆栄太郎

表面 松陰筆 家爺疫症危篤、苦心いたし候 小生儀も看病中入牢見合せの事嘆き出で候處、御詮議に相成るべき趣、先づ御喜び下さるべく候 父・百合之助が伝染病により危篤、色々と悩み苦労している。僕の件も看病中は入牢が差し控えとなっていて悲しみで溜息が…

安政6年4月9日(ヵ)松陰→岡部

僕容易に人を絶交する様に久坂など云ひて不滿を云ふけれど、義卿豈に容易に人を絶交せんや 殊に來原・桂などは僕が尊信することは諸友具さに知る所 然れども諸友かかる大機會を態と取外し、今公の勤王をさせぬなれば、僕どうも如何に思うても胸がながぬでは…

安政6年3月26日 松陰→小田村・岡部

小文字は行間に書き添えた文章(松陰筆) 勤王は迚も長藩 のみならず諸藩皆然り にては出來申さざる事は僕疾より承知なり 然れども出來ぬ 心思錯亂、語論次なし ながら十數人も勤王事にて 罪を蒙れば志決す、怒猪の如し 怒猪となればおそろしきものなし 十數…

安政6年5月13日 松陰→(高杉?)杉蔵

*杉蔵への追伸より前の高杉宛文章全部が墨で大きく擦って消されている(高杉が目にしたかどうかは不明?) *栄太郎の別紙は今は見つかっていない 四月七日の書至り拜復仕り候人物月旦一々的當、但し日下は大いに前日の老成見を悔ゆるに似たり 之に因り僕へ…

安政6年5月24日 久坂→高杉

高杉 江戸 久坂 萩 尊書屢辱辭意重疉捧讀之際愧悚而答書奉有未緩慵之罪海涵是祈 度々手紙をいただき面目無く思います。(貴方の)手紙が幾重にも重なっていて、拝見する際(自分が)とても恥ずかしく思えました。回答書はまだ無く、気の緩み(故の過失)ご容…

二本松藩史「世良暗殺の顛末」

十八日(閏四月)世良参議單身白河を發し、十九日福島に入り金澤屋に宿す(同地北町)。此の日仙臺藩瀬上主膳、姉歯武之進等、土湯、荒井、鳥渡(共に福島の西方ニ三里に在り)の守備を徹して同地に來る在り。福島藩用人 鈴木六太郎 世良が託する所の在 羽州…

安政6年4月13日 高杉→久坂

江戸から山口まで手紙が届くのにどれだけ急いでも2、3週間は掛かると思われる 今以御手間御送無御座。少々は不平にて御座候。陳は貴兄御起居如何、此節は山口より御帰萩被成候哉、万端承度候。私儀も碌々食飯居候。此節日夜強気起り、一日も君之為めに死度心…

安政6年4月1日 高杉→久坂

久坂に萩下の近況を問うも返事が来ず、これが三通目 二白、僕も愚父様子相考候ニ、来春カ来秋ニハ必帰萩サセ、松下様子大憂イ居候、松下先生ニハ書状可差上ト相考、度々認候得共、ウソニナリ候事カ多ク御座候故、ヤメ申候追伸、僕も父の状況を考えると、来年…

安政4年9月3日 煙管を折るの記

一部抜粋にて 一日有隣と士風を論ず 無咎、無逸、市、溝、皆、これに在り 夜深うして灯燃え残る 談、岸田生の事に及ぶや、余の憂ひ色に現はれ、一座黙然たること之れを久しうす 無逸慨然として煙管を把って之れを折る、曰く「吾れ其れ此れより始めん」と 無咎…

安政6年5月東行前 松陰→杉蔵

吉田松陰全集コマ219 松陰 野山獄杉蔵 岩倉獄 久保・天野來る 天野は吾が見る所恐らくは違はず 是れは高杉來歸を待ちて決すべし 久保は眞に吾れを知るもの、今更に申すに及ばず 爰に一落涙したることあり 久保君、天野君が来た。天野君は私が見るところによ…

安政2年10月15日 清内、栄太郎→大野

清内の筆跡とのこと。 安政元年に一度萩へ戻った栄太郎が安政2年9月に江戸へ行く際(江戸番手御昼水仁)、餞別をくれた時のお礼。 一筆啓上仕候 寒之節に御座候得共、先以貴家御揃御勇可被成御座珍重奉存候 於為元私共父子無異罷在候間、此段乍憚御休意被思…

元治2年3月1日 土方→佐藤

多摩デジタル新撰組資料館 小島資料館 所蔵資料 https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/1391015100/1391015100200020/ht160018 ○後日読み直します◯ 春暖之節御坐候処、愈御安康御座成させらるべく候と恐寿奉り候、随て当方一統無事御休意下さるべく候…