おべんきょうノート

自分用です。

安政四年

♦︎♢ はじめに ♢♦︎

上のカテゴリータグからとんでください。 ・このブログは自分の勉強メモです。 ・サーチエンジンからは検索できないようになっています。 ・解釈違い、間違い等あるかもしれませんが放っておいてください。 タグの説明 安政、元治、嘉永、文久、慶応→年号。 …

安政4年(ヵ)「松下村塾規則」

一、兩親の命必ず背くべからず 一、両親の言うことには必ず背かないこと。 一、兩親へ必ず出入を告ぐべし 一、両親へ必ず(塾への)出入りを告げること。 一、晨起盥梳、先祖を拝し、御城にむかひ拝し、東にむかひ 天朝を拝する事。假令病に臥すとも怠るべか…

安政4年7月28日(ヵ) 松陰→岸御園

イタリック部分は富永有隣の筆 雲陣茶話寫させ候につき、小倉へ贈らるべく候 ◯川角太閣記二冊丈け貴覧に入れ候 ◯小金原御狩記一卷返璧 ◯先大津烈婦(登波)寫貌一條御周旋忝く候 討賊始末相濟み候はば御取りかへし下さるべく候 雲陣茶話、写させましたので小…

安政4年8月12日 松陰→栄太郎

若し曾子の心あらば即ち竜比の身首分裂と手足を啓くと一般なり もし全孝を本当に理解していれば竜蓬・比干が王を諫めて刑を受けた事は、臨終の時に門弟子を呼びて「予が手を啓け、予が足を啓け」と心法を示したのと同じである。※1 然らずんば則ち牖下に老死…

安政4年「秀實、字は無逸の説」

榮太郎年甫めて十三、始めて江戸に役す 會々墨夷の變あり、深く自ら奮勵し、武技を學びて以て致す所あらんと欲す 其の後、家を辭して遠く遊ばんことを謀りしも、事諧はず 栄太郎が十三歳の頃、初めて江戸へお役目を勤めた。ちょうどその時墨夷(アメリカ)の…

安政4年正月26日 松陰→月性

松陰 在萩 月性 在京 改歳已來大いに御無沙汰打過ぎ申し候、眞平御海恕下さるべく候 舊冬は安藤・廣瀬二家澁木生を哭する詩御贈致下され、難有く御厚情謝し奉り候 廣瀬の詩殊に其の用意に服し候 年明け以来長らくご無沙汰でおりました、どうぞ(海のように広…

安政4年9月2日 松陰→桂

杉原辰之助組の者自稱吉田氏 榮太郎秀實は無逸 此の生僕甚だ愛する所、前途期すべし存じ候 僕鑑定の處は此の生の名字説其の外書き與へ候詩文にて御承知下さるべく、老兄御目鏡に乗り先々有用と思召され候はば、然るべく御教示頼み奉り候 杉原辰之助組の者、…

安政4年9月3日 煙管を折るの記

一部抜粋にて 一日有隣と士風を論ず 無咎、無逸、市、溝、皆、これに在り 夜深うして灯燃え残る 談、岸田生の事に及ぶや、余の憂ひ色に現はれ、一座黙然たること之れを久しうす 無逸慨然として煙管を把って之れを折る、曰く「吾れ其れ此れより始めん」と 無咎…

安政4年8月28日 松陰→栄太郎

要約:江戸へ行く栄太郎に贈る言葉 「吉田無逸を送る序」 吾が邑は萩府の近郊に在り、人最も学を好むと称せらる。何如せん、近来乃ち古に如かざるを。吾れ帰囚三年、厳に世と謝す、ここを以て邑中の風教、一切これを度外に措けり。 松本村は萩府の近郊にあり…

安政4年8月21日 赤禰→月性

今朝は客舎へ御尋被下、名家之添書御持参、奉多謝候、拙作揮毫仕候二付直覧、旅中匆々、甚見苦敷汗顔之至二奉存候、萬期明春再開之時迄、草々以不尽 八月念一 尚々、久坂君へも宜疎音(数字不明)度候、以上 月性上人 几下 赤拝今朝は旅籠へお訪ねくださり、…