おべんきょうノート

自分用です。

嘉永6年6月、12月 清内・栄太郎→大野 2通

嘉永6(1853年)6月24日

吉田清内、栄太郎から大野信吾への書簡。
父である清内が栄太郎(稔麿)と連名にて記したもの。筆跡は清内のものだろうとの事

一筆啓上仕候 甚暑之節に御座候処、先以貴所様・御満家中様御安全に可被成御座珍重の至に奉存候 於為元親子共無意義相勤候間、乍憚貴意易思召可被遣候 且又当夏は殊外厚さ強く難凌、御国元も同様に御座候哉と奉存候

一筆失礼致します。暑い時期でございますが、兎にも角にも貴方様・御家族様方がとても健康にお過ごしとの事、大変喜ばしく存じます。貴方様のご助力の元、我ら親子共難儀無く勤める事が出来ています。また、今年の夏は殊更暑さが厳しく凌ぎがたく、そちら(萩松本村)も同様でしょうかと存じます。

 

猶又江戸表は異国船渡〔破損〕御大名様方へ御人数被差出候様御沙汰相成、…<省略>…其外手道具、足軽・弓組・鉄砲組・十三組、無柄白木綿にて後八巻、袖印長州何之何某と書付陣立同様に御座候

尚また江戸の方は異国の船が渡り〔破損〕大名様方の指示により人数を揃える事に相成りまして、…省略>…外手道具、足軽・弓組・鉄砲組・十三組、白無地の木綿布を後ろはちまき、袖印に長州の組と名前を書き付け、陣立も同様でございます。


出入共に殿様御式台下の板之間迄御出立、御之、御目見、夫より上の板之間え御床几え御召、…<省略>…先は暑中見舞旁以愚礼如斯御座候 恐惶謹言

 六月廿四日  吉田清内 同栄太郎

尚々幾重も(省略)御気体可被成御厭、乍憚御家内中様え宜敷御伝声奉希候 以上
出入り共に、殿様は式台下の板の間迄お出に到られますので、謁見時は、それより上の板の間へご床几へお召…<省略>…まずは前に書いたようにこの手紙をもって暑中のお見舞いとさせていただきます。恐惶謹言。

 六月二十四日    吉田清内   栄太郎

尚、何度も…<省略>…お体を大事になさるべく、恐れ入りますが御家族様へ宜しくお伝えくださいますようお願い申し上げます。以上。

床几→しょうぎ、と読む。折り畳み式の腰掛け


 追啓

留守中何かと御世話に相成千万難有、家内より御礼状差上呉候申〔破損〕然へく候様、夏書状差出不申候故、宜敷御〔破損〕御頼申上候。以上。

 大野信吉様 尊下
追伸
留守中何かとお世話になりまして本当に有難うございます。家内よりお礼状を差し上げてくれるよう申破損その様に、夏に書状を出せずでございましたので、宜しく〔破損〕お頼み申し上げます。以上。

 大野信吉様  尊下

 

 


嘉永6(1853年)12月8日

同上。大野信吾へ清内と連名の書簡。

一筆啓上仕候 甚寒之節に御座候得共、先以尊君様・御家内中様御壮健可被成御座珍重之御義に奉存候 於為元親子共に無異儀相勤候間、貴意易思召可被遣候
一筆失礼致します。寒さも甚だしい季節にございますが、兎にも角にも貴方様・御家族様方がとても健康にお過ごしとの事で大変喜ばしく存じます。その為貴方様のご助力の元、我ら親子共難儀無く勤める事が出来ています。

 

於御国許都合御静謐之御様子、江戸も御同様に御座候得共、此内より浦賀御引請に相成、猶又将軍宣下、且若殿様御登に付ては御住居え御普請有之、御屋敷内も殊外御閙敷何かと混雑仕候
そちら(萩松本村)の都合は穏やかなご様子、江戸も同様にございますが、この間より浦賀へお引き受けする事になりまして、尚又、将軍宣下を行われ、お屋敷内も殊の外忙しく何かとごたごたとしております。

 

且又月迫に相成、嘸々御用繁に御座候はんと奉存候先は寒中御見舞旁捧愚礼、如是御座候 恐惶謹言

 十二月八日 吉田清内 仝栄太郎
且つ、又月末になり、さぞさぞご用にお忙しくしているかと存じますので先立って寒中見舞いにて方々へ御礼申し上げ、以上の通りでございます(このような事でございます)恐惶謹言。

 

尚々幾重も御気分御厭専一之御事に奉存候 猶又留守共は大きにお世話相成、乍此上宜敷御頼仕候。乍憚御家内中様え宜敷御伝声奉希上候 以上

 大野信吉様 尊下
尚々、何度も重ねて(申し上げますが)お体を大事になさる事が一番に存じます。尚又、留守中はとてもお世話になっており、どうぞこの上ながら宜しくお頼み申します。憚りながらもご家族様へ宜しくお伝えいただきますよう、お願い申し上げます。以上

 大野信吉様 尊下