おべんきょうノート

自分用です。

2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧

嘉永6年「西征残稿」狂愚

国文学研究資料館データベース 嘉永6年「西征残稿」狂愚 狂愚誠可愛 狂愚は誠に愛すべきものだ 才良誠可虞 才良は誠に恐れるべきものだ 狂常鋭進取 狂は常に鋭く自ら進んで物事を成し 愚常疎避趨 愚は常に災いや難儀から逃げない 才多機變士 才が多いと時機…

元治元年10月25日 井上・高杉漢詩

元治元年10月25日 井上聞多 身被数創志未灰何時蹶起払気埃喜君雄略存方寸病苦忘来且侑杯 幾創の傷を身に受けたが志は未だ灰になってはいない何時でも決起し心に積もる塵(ちり)を払おう勇策を持ち合わせた君は喜ばしく稀有な存在である共に盃を酌み交わせば…

文久2年2月4日 遊清五録

『遊清五録』序 高杉晋作が藩命で上海に渡った際、受けた衝撃を綴った日記。藩命を受けたのが文久元年12月23日。長崎より千歳丸に乗船、上海へ渡るのが文久2年2月4日。 この日記は「航海日誌」「上海掩留日録」という二編日記と「内情探索録」「外情探索録」…

元治元年3月 稔麿→平野

毛利家文庫年度別書翰集 十四 吉田栄太郎(松村小介)の部分のみです。 二日 早朝訣別仕 二日 早朝、別れました。 三日 朝箱根山越 四時江尻ニ泊スコレハ馬越夜中阿部川相成不申府中へ参リ候テハ深更ニテ何カ込リ候ニ付泊ス 三日 朝、箱根山を越えました。 …

安政6年4月22日頃 松陰→杉蔵(九一)

「自然説」松陰 在野山獄 入江 在岩倉獄 餘り怒りよるととうとう腹もなんにも立たぬ様になる。吾れは腹はもう立てぬ。併し又立てたら夫れも自然と恕して呉れ。怒りも過ぎるととうとう何も感じなくなる。僕はもう腹を立てない。しかしまた腹を立てたらそれも…

安政4年8月28日 松陰→栄太郎

要約:江戸へ行く栄太郎に贈る言葉 「吉田無逸を送る序」 吾が邑は萩府の近郊に在り、人最も学を好むと称せらる。何如せん、近来乃ち古に如かざるを。吾れ帰囚三年、厳に世と謝す、ここを以て邑中の風教、一切これを度外に措けり。 松本村は萩府の近郊にあり…

安政3年6月3日 松陰→土屋

松陰在萩(松本村)土屋在萩 䔥海學兄 坂生志氣凡ならず、何卒大成致せかしと存じ、力を極めて辯駁致し候間、是れにて一激して大擧來寇の勢いあらば、僕が本望之れに過ぎず候。 䔥海学兄 久坂君は凡人ではないから、何とかして立派な人物にさせたいと思い、…

赤禰武人贈位反駁書(1911年)

明治44年、赤禰篤太郎(赤禰武人の養父 赤禰忠右衛門雅平の実子)は、明治政府が行っていた維新殉難者への贈位によって赤禰武人を復権させようとし、その時に反対した山県有朋の反駁書の一部。 赤禰武人贈位反駁書(上) 報效志士人名録第二輯、赤禰武人の條…

歴創の高杉晋作について考えた事をまとめた

歴史創作 高杉晋作について。 私が描く歴史創作の中の話です(史実に基づいている事件・事柄もありますが、直接的な関係はありません) キャラ設定、私見、個人的な感想なども多々。 みな敬称略。 まず高杉晋作は 心理的リアクタンスを持ち、組織ルールには…

【途中】久坂無表紙メモ

*色付は他藩の補足 文久元年 6月 朔日 晴雨 樺、大野が来る 2 (空白) 3 町田来る 7 木原来る 8 日下部 9 無逸と四谷で会う 10 (空白) 11 樺来る、広澤来る 12 外出せず。樺来る 13 葛飾へ行く 14 晴雨 外出せず。この夜長到着 15 ヤジ来る。細谷六右衛…