おべんきょうノート

自分用です。

文久4年2月18日 高杉→雅子

来島又兵衛など遊撃軍の京都進発論を押さえる為、藩命を無視して上京。京都にいた桂・久坂と協議。

 

一筆申し進め候、先中御父母さま御揃い御無事にいらせられめでたく存じまいらせ候、そもじどのにもご無事にござあるべく候、めでたく存じまいらせ候、我れらもこの節は京都へまかり越し候間、決して御気遣い下されまじく候

一筆申し進めます。先ずはお父母様にあたってはお揃いで日々ご無事にお過ごしなされ、喜ばしく思います。貴女様においてもご無事であられ喜ばしく思います。私もこの度、京都へ参上致しますが、決してお気遣いはなさらないようにしてください。

 

出足の節は急場の事故手紙も残さず候段、我ながらあやまり申し候、御免し下さるべく候、いずれも遠からぬ内にまかり帰り候につき、その節委曲申し開かすべく候

出発が急だったので一言手紙も残さなかったのは我ながら失敗でした、お許しください。どちらにしても遠くない内に帰りますのでその時に詳しくお話致します。


吉富へ預け候切手事を井上おととさまへ御頼み下されたく候、また内々のこしおき候切手は御守り袋の中にござ候間、御請け取り下され、それを井上おととさまへ、御頼み下さるべく候

吉富(吉富藤兵衛?)へ任せている商品手形の事を井上のお父様にお願いしていただきたく思います。また内密に残し置いた商品手形はお守り袋の中にございますのでお受け取りいただき、それを井上のお父様へお願いしてください。


井上へも萩の高杉へもこの度無音仕り候間、その段仰せ越され候よう頼みまいらせ候、山口方にてよろしく候わば当介は源之丞は不用故、御帰りなさるべく候、馬は井上へ御預けなさるべく候

井上家へも萩の高杉家へもご無沙汰ですが、その件もお伝えいただけるようお頼み致します。山口方で問題無ければ当介(奉公人としての相応しい姿勢)に源之丞は不要ですのでお帰りなさるように。馬は井上家へお預けなさってください。


萩高杉御両人様を大せつに致され候が我れらを大せつに致され候も同様に候間さよう御心がけ専要に存じまいらせ候、我れら事も色々御気遣いもこれあるべく候えども、武士という者はこのくらいの事は常にござ候間、腹を強う思い留守をたしかに致され候よう、万々頼みまいらせ候

萩の高杉家お父母様を大切にされるのが私を大切にされる事と同様ですので、そのようにお心掛けが極めて大切でございます。私事も色々とお気遣いがあるでしょうが、武士というものはこのくらいの事は常にございますので、心を強く持ち家を守ってくれますよう幾重にお頼み致します。

 

京大阪へ便りござ候わば、文も御送り下さるべく候、この方より追々書状着し送るべく候、近日の中大阪へ帰り候故さ候わば曽我物語いろは文庫など送り候間、それを御読みなされ心をみがく事専一にござ候

京都、大阪へ手紙がございましたらお送りください。こちら側から到着した手紙も追々送ります。近日中に大阪へ帰らない場合は曽我物語やいろは文庫など送りますので、お読みなされて心を磨く事に打ち込むと良いでしょう。


武士の妻は町人や百姓の妻とは違うというところ忘れぬ事、専要にござ候、色々申し遣わしたくござ候えども、先ずはあらあらかくの如く申し縮め候

めて度くかしこ
    二月十八日

武士の妻は町人や百姓の妻とは違うという事を忘れない事がとても重要でございます。色々と申し付けたくございますが、先ずは諸々このように短文にて。

めでたくかしこ

    二月十八日


なおなお萩御両親さま御大切に御仕えの事専要にござ候、そもじにも短気をおこさずまめに留守番致さるべく候、今月か来月の中にはまかり帰り候につき、さよう御心得下さるべく候
そのため かしこ
  於政との無事

(追伸)、萩のお父母様を大切にお仕えする事が肝心でございます。貴女においても短気を起こさず、誠実に留守番をするようにしてください。今月か来月中には帰りますのでそのように心に留めておいてください。

そのため かしこ

  お政どの平穏無事(でありますよう)

かしこ→女性への手紙の末尾につける「恐惶  謹言(男性が使う)」などにあたる語。女文。