おべんきょうノート

自分用です。

安政5年正月4日 松陰→月性

松陰 萩、月性 周防

松陰全集6 コマ33

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松洞生木原翁㒵写爲罷越候故一緒呈候、此内ハ度々御手數成下被悉複奉暇未失體恐入奉候、歳寒窓二編入手仕候、写録仕度ニ付暫畄申候

(松浦)松洞が木原(松佳)翁の自画像の為参るので一緒に送ります。この間は度々ご労力くださりました。また、お手紙を差し出す暇(いとま)も取れずの失態、申し訳ありません。歳寒窓を二編入手致しました。写録したく思っていますので暫く置いておきます。


◯栄太郎と申もの先頃写贈り候、蘭夷密報其後贈り候、東武二義士ノ事一片別差出候、中々安坐ニてハ澄ヌ時勢到來歟と存奉候、桂生周布與書も同断

◯栄太郎(字 無逸 名 秀実)という者、先頃手紙を送りました。『蘭夷密報』後ほど送ります。東武の二人の義士についても別紙にて差し出します。中々のんびりと腰を落ち着かせていられない時勢が来たのかと存じます。桂(小五郎)君、周布(政之助)君に与えた書も同様です。

 

◯幽因録松洞へ託し候處松洞豊筑ニて只様手間取大延引ニ相成申候、謹爲呈上仕候、此囘校合カテラ一読仕候処何如ニモ蕪陋致方御座無候へ共今更改竄之心もなく其儘仕置候

幽因録は松洞へ預けておりますが、彼は豊筑で思いのほか手間取り当初の予定より大きく遅れています。謹んで呈上致します。回校し合いがてら一読した所、どうにもなすべき事が多くごたついた内容でしたが今更改ざんの心もないのでそのままにしています。


◯亡友鳥山墓碑高覧入候、是ハ例ノ江帾の作にて貴望ニハ合申間布候へ共僕輩交旧、交変欲不、又鳥山事知者此外之無ニ付右如候、是等ハ他日拜面尽陳可也

亡き友、鳥山(新三郎)の墓碑をご覧ください。こちらは例の江帾(五郎)の作であり希望には合いませんでしたが、僕の古くからの友人であり、繋がりが変わる事はありません。また鳥山の件を知る者は江帾の他にいませんので、また後日ご面会されると良いでしょう。


◯清水氏登庸之事ハ定て御承知存奉候、東武ニ義士吾藩ノ一侍御と実國家為一愉快と存候故御苫塊中憚不一賀申上候萬々御海涵祈奉候也

正月四日      寅白

◯清水氏の登用の件は全て承知しております。東武の二人の義士、我が藩の同志と本当にお国にとっても晴れやかになりますので、お悔やみ中にも関わらず不躾にお祝い(新年の挨拶?)申し上げました。どうぞご容赦くださいますよう。

正月四日      寅白

 

尚以僕知己馬関伊藤靜齋も嚴譴免被當月内出府之積ニ付合ヒ候様帰府之積ニて大ニ急き申候也

なお僕の知己、馬関(に居る)伊藤静斎も厳しく咎められたものの免ぜられ当月中に出府するつもりです。それに合わせて帰府のつもりですので、大いに急ぎます。