おべんきょうノート

自分用です。

文久3年4月28日 淵上(郁)→淵上(謙)

幸便一書啓上候、時下薄暑之砌に御座候処愈々御安康之由大賀存候 此方に於ても無異消光罷過候条御安心可被成候

幸便にて一書申し上げます。夏が始まり薄らと汗ばむ季節でございますところ、より一層平穏無事とお聞きし大変喜ばしく思います。こちらにおいても無事に日を過ごしておりますのでご安心なさいませ。


扨拙者事此事内々用事実に天朝御大事之事に付、下阪致居候処、御国元に於て何か混雑出来候とて、下国候様申付られ候間其支度罷在候処、右之御用辺に付て、難差外儀御座候間、長土より故障申立

さて私事(でございますが)、本件は内密の用事で天朝(にとって)大切な事に付き大阪へ下ったところお国元で何かいざこざがあるとして帰郷するように申し付けられましたのでその準備をしていたところ、右の用事では国境を越える事は難しくございますので長土(長州・土佐)から異議が出、


且勅使姉小路様も重復御呼に相成引留に相成候間、滞京の事に相決し候 其方には混雑之事に御懸りは無之哉と夫のみ案じ居候

その上勅使天皇からの使者)姉小路様も何度もお呼びになり思い止まるよう勧められますので、京都に滞在する事に決めました。そちらにはこのいざこざの事で何か悪い作用が起きないだろうかと心配しております。


若無事に候はば、此頃は京師の事情も実に筆紙難述儀も御座候間、公然遊学願を御手続被成道中雑費候丈金子御才角に相成候て上京に相成候はば、其余は如何様とも取計可申候

もし何事もなければ、この頃は京都の事情もとても筆や紙では言い尽くせない件もございますので、公に遊学願をお手続きなされ、道中の雑費分の資金を工面して上京になりましたらその後はどのようにも取り計らいが出来ます。


委細申上度存候へ共、後刻より堺辺へ発程に付殊の外取急候間、あらあら拙状を呈候 早々
   四月二十八日    郁太郎
 謙三君

詳細を申し上げたく思いますが、後程堺周辺へ出立致す為にとても取り急いでおりますので、概略ですが私の状況をお伝え致しました。早々。

   四月二十八日    郁太郎
 謙三君