おべんきょうノート

自分用です。

2020-01-01から1年間の記事一覧

元治元年5月20日 近藤→ 児島・橋本

多摩デジタル新撰組資料館 小島資料館 所蔵資料 https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/1391015100/1391015100200020/ht160013 ○後日読み直します○ 尚々小山萩原氏え書状も差し出し申さず候間、恐れながら宜敷く願い上げ候、先頃下拙共武術の義格別の…

文久4年正月24日 高杉→大和

狂生義此度 何分國事切迫に付無餘義只今ゟ上京仕候附而は御両殿様萬事御補佐之事呉々も御願申上候 私のこの度の件 何分、国事切迫に付き他に取るべき方法も無く只今より上京致します。ついては両殿様、万事ご補佐の程をくれぐれもお願い申し上げます。 先日…

文久4年正月23日 高杉→前田

打絶御無沙汰申上候段御降恕奉願上候 先日已来嘸々御愁傷可被為入奉愚察候 御見舞にも不罷出段千萬奉恐入候 扨は廉菓之箱遺俗御寸意迠御持を申上候間御落手奉頼候 全くのご無沙汰でした件、お許しくださるようお願い申し上げます。先日以来さぞさぞお悲しみ…

安政7年正月21日 淵上→ 下川(瀬兵衛)

去十二月二日御認之御尊翰正月五日辱奉拝見候、時下余寒退未候へ共、宿元皆様御揃御機嫌克被遊御座大慶之御事に奉存候、小生も当地にて無異儀相暮居申候乍恐御休意可被下候 去る十二月二日認めのご書簡を正月五日に拝見しました。立春の候未だ寒さが残ります…

安政5年正月6日 松陰→秋良

秋良敦之助宛 此の度尊貌を冩しのため松洞生貴地へ罷り出で候間、然るべく御頼み仕り候 この度、お顔(お姿)を写す為(自画像の意味)松洞君がそちらへ参りますので、どうぞお頼み申します。 嘱せられし短刀記、僅かに結草致し候へども、鍛工の名及び刀の長…

古いお金?

実家の蔵を掃除中に見つけたお札。 岩倉具視ってお札になってたのか。 こちらも。 母は偽金と思ってたみたいだけど(笑)ググったら出てきたので…使える硬貨っぽい?

世良修蔵メモ

まとめの途中です。 世良修蔵の人となり 【谷干城日記】安政六年十一月十二日『六ツ過起る。書見、日出、支度仕る、通鑑、八大家等を読、今日も不出、頻に読む、八ツ時より周礼輪講始まる、七ツ過きを済む、夜に入り、八大家の会有り山内六三郎、村上俊平、…

観光③柳井

柳井市観光3日目 この日は柳井駅前の白壁通りをゆったり散歩して帰ろうと決める。時刻は10:15 朝早くてまだお店が開いてなかった。 そんなばかな。 金魚ちょうちんかわいい。 そういえば下関にはフグちょうちんがあったなぁ。 近くに川があったけど、 かにさ…

観光②阿月〜遠崎

柳井市観光2日目 朝になって悔やみまくった私は赤禰さんの墓参りしたいリベンジしたいと我儘を言い出す。 雨降る前に行こうとしたが、バス途中に雨が降り出してしまう。 「おあー( ;∀;)」となりつつもとりあえず国道を下って赤袮武人の墓前に来る。 別に濡…

観光①阿月神明祭

柳井市観光1日目 私「11日に阿月神明祭があるらしいんだけど、私休み貰ったんだけどこれは推しが呼んでくれてるってことでいいですよね?」 相方「いいと思います」 「ならば行こう」 偶然祝日にお休みがとれる奇跡が起こったので、急遽決まった観光。 10:50…

嘉永6年12月8日 清内、栄太郎→大野

要約:現状報告 大野信吾へ清内と栄太郎連名の書簡 筆跡は清内とのこと 一筆啓上仕候 甚寒之節に御座候得共先以尊君様・御家内中様御壮健可被成御座珍重之御義に奉存候 於為元親子共に無異儀相勤候間貴意易思召可被遣候一筆失礼致します。寒さ甚だしい季節に…

嘉永6年6月24日 清内、栄太郎→大野

吉田清内、栄太郎から大野信吾への書簡筆跡は清内のものだろうとの事 要約:萩の隣家の当主に時勢の慌ただしい動きを知らせている 一筆啓上仕候 甚暑之節に御座候処、先以貴所様・御満家中様御安全に可被成御座珍重の至に奉存候 於為元親子共無意義相勤候間、…

文久3年2月14日 中岡→久坂

要点:中岡が京滞在中久坂に木下駄を借りた 木屋町十三番御宿 久坂玄瑞様 几下 中岡慎太郎 〆 二月十四日 木屋町十三番御宿 久坂玄瑞様 几下 中岡慎太郎 〆 二月十四日 先刻は推参仕り彼是御高話承千万忝かたじけなき仕合御座候 拝借致し候御木履為持御返し仕…

安政6年5月東行前 松陰→杉蔵、和作

吉田松陰より、子遠兄弟への書簡。らしい。 江戸に召喚される直前、長州萩にて親戚門下諸友に決別の遺書として書き与えたもののひとつ。同じ様な文面の遺書がいくつかあって正確にはどれかわからないので、タイトルを一番確率の高い杉蔵宛にしています。 内…

安政5年正月4日 松陰→月性

松陰 萩、月性 周防 松陰全集6 コマ33 原文並び替え 松洞生木原翁㒵写爲罷越候故一緒呈候、此内ハ度々御手數成下被悉複奉暇未失體恐入奉候、歳寒窓二編入手仕候、写録仕度ニ付暫畄申候 (松浦)松洞が木原(松佳)翁の自画像の為参るので一緒に送ります。こ…

文久元年8月16日 久坂→九一

「此書火中すべし」「この手紙は読んだら燃やしてください」 前月念五朶雲昨日到手仕候 御清安被為在大悦仕候 前月(七月)二十五日(の君の手紙が)昨日手元に届きました。清安であらせられ大変喜ばしい事です。 扨者天下の形勢も日々切迫に相成申候 和宮様…

文久4年2月18日 高杉→雅子

来島又兵衛など遊撃軍の京都進発論を押さえる為、藩命を無視して上京。京都にいた桂・久坂と協議。 一筆申し進め候、先中御父母さま御揃い御無事にいらせられめでたく存じまいらせ候、そもじどのにもご無事にござあるべく候、めでたく存じまいらせ候、我れら…

久坂と武市、坂本メモ(文久元〜二年まで)

九月、武市半平太が土佐勤王党の結成にともない江戸から土佐へ帰郷する際に久坂玄瑞が半平太の墨竹画に題した賛辞詩 挺立ス山厳竹薮竿 故人ノ心事画中ニ看ル 男児ノ再会期シテ得難シ 唯喜ブ清風ノ座ヲ襲ウテ寒キヲ武市君ト別ルル席上酔ウテ題ス 別時何必説平…

王陽明思想(陽明学)について

松陰先生を主として、幕末長州勢を追うと思想上に必ず出てくるであろう「陽明学」は勢いで読み出してもなかなか理解が難しい (専門書、哲学書故に) 読むに当たっても専門用語がバンバン出てくるので、『四書五経』の予習は必須。 四書五経(ししょごきょう…

文久2年11月21日 弥二郎→父

要約:外国公使暗殺未遂事件後の処遇など 寒冷の節に御座候えども、いよいよ御安泰成さるべく御所義珍重存じ奉り候。 寒冷の季節でございますが、ますますご安泰となされるご様子でとても喜ばしく思います。 さては私義過る十三日少々存じ付き候事これあり、…

慶応2年4月5日 高杉→おうの

おうのとの無事一筆申し遣し候、そな事も無事にてめでたく存じまいらせ候、われらも無事長崎に罷り居り候間、卸きづかい下されまじく候、 おうの殿無事一筆申し残します。貴女も大事無いとの事で喜ばしく思います。私も無事に長崎に居りますので、お気遣いな…

文久3年11月6日 高杉→山縣

伝・晋作書簡 (「東行庵だより」平成13年夏号)写本か 御翰拝読候。先日は計らず怱卒申し出、後悔罷りあり候。実は久坂より何たる事も申さず候ゆえ、呈書つかまつり候訳にござ候、其の方、御降恕遣わされるべく候。御調の分、御入金員数相分かり候はば仰せ…

慶応3年3月15日 高杉→福田

東行拝 悠々舎主人 侍史 御見舞品数々御恵投被害 下難有御厚情之段奉多謝候東行拝悠々舎主人 侍史 (不利益が被る程の)数々のお見舞い品を戴き、とても有難く貴方の厚情には感謝が尽きません。 侍史→「この手紙はあなたのお目を煩わせるほどのものではない…