おべんきょうノート

自分用です。

安政4年正月26日 松陰→月性

松陰 在萩

月性 在京

 

改歳已來大いに御無沙汰打過ぎ申し候、眞平御海恕下さるべく候 舊冬は安藤・廣瀬二家澁木生を哭する詩御贈致下され、難有く御厚情謝し奉り候 廣瀬の詩殊に其の用意に服し候

年明け以来長らくご無沙汰でおりました、どうぞ(海のように広い心でもって)お許しくださるようお願い致します。昨年の冬に安藤(秋里)・廣瀬(謙)二家の渋木君(渋木松太郎/金子重之輔を哭する(死者を弔う礼儀として大声で泣き叫ぶ様)詩を贈ってくださり、有難くご厚情に謝し申し上げます。廣瀬の詩、とりわけその心遣いに納得しました。

 

尚ほ又後藤・梅東二家も哭詩出来候よし、御周旋の段感銘し奉り候 足を企てて其の到るを待ち居り候 尤も御地にて軸にども相成り候事に候はば、此の方へは寫しにて御遣はし成され候て宜敷く御座候

尚また後藤(松陰)(山田)梅東二家も哭詩が出来たそうで、ご周旋に深く感動致します。今か今かと詩が届くのを待っております。もっともそちらの地にて掛け軸などになるのでしたら、こちらへは写しにてお遣わしなされるよう宜しくお願いします。

 

再應諸家の筆を勞し候儀心を安んぜず候 石山・鷺森の法話、中興上人垂蹟の地、上人の苦心想ふべきなり、窃かに賀す、窃かに賀す

再度諸家に筆をとってもらう事、(その骨折りを)心配しております。石山本願寺/大坂)・鷺森本願寺別院/紀伊法話、中興上人蓮如上人)の垂蹟(基礎を築いた)の地、貴方が物事を成すための苦労が想像出来ます。密かにお祈り致します。

 

囘顧録の事は意外の候、併し何も禁忌に觸るるも觸れぬも命のみ 抑々脇坂先候の賢は痴叔僧竹院の爲めに其の寺社奉行役中の一事を言ふ 想ふに今候も其の父を忝しめざるか

回顧録の事は予想外でした、しかし何も違反に触る触れないを定めるのは命令のみです。そもそも前任の脇坂氏の偉業は(伯父の)僧 竹院にとっては寺社奉行のお役目中の事を言うのです。今の脇坂氏(の行い?)も父親を辱めるのではないかと思います。

 

所司代にかかる人あるも神州の幸運と云ひつべし 舊臘梅田源次翁來遊、坪翁へも相對、算通りに行はれ候よし、何事か承らず候へども蔭ながら大慶仕り候 滿城中大いに心折の由、妙甚妙甚

所司代の手にかかる人があってもきっと「神州(日本)に運が向いている」と言うでしょう。昨年十二月、梅田(源次郎)翁が遊学に来られ、坪井(九右衛門)翁とお会いし、予定通りに行われたそうで、何の件かはお聞きしておりませんが陰ながらお喜び致します。町中心から敬服致したと聞き、とても素晴らしく存じます。

 

學校へも度々罷り出で候 尤も學校・水哉にて上人を罵つたと云ふ風評あるなり 上人を憎む人々は上人梅田と深謀ある故由は露しらず、梅田を引きて口實とするもあり、笑ふべきの甚だしきなり

学校へも度々出ております。ただし学校や水哉亭にて貴方を罵ったという噂があります。貴方に反対する人々は、梅田と貴方に繋がりがあるとは露知らず梅田を仲間に引き入れる口実にしようとする者もいて、(滑稽で)笑ってしまいます。

 

併し中には又是れを以て梅田を上人へ 讒する心に非ずと云ふとも淺慮より爰に至る事毎々あり 讒する人もあるまじきに非ず 申す能はざる事には御座候へども必ず必ず御信用成さるべからず

しかし中にはまた梅田を貴方(の地位に上げる為に)へ 嘘偽りを言うつもりはなくても浅い考えから結果そうなってしまう事がいつもあります。 嘘偽りを言う人がいない訳でもありません。僕が言わなくてもご存知の事でございますが、必ず必ずご信用なさらぬように。

 

小人の讒間畏るべし、又小人に非ずと雖も事業に心なき人は、志士の苦心は知らず候 此の行梅田の苦心大形に非ずと僕に於ては遙察仕り候 是れ等の事も最早梅田歸京、頓に御承知とは察し奉り候

小人物の嘘偽りにより仲を隔てさせる力を見くびってはいけません。また小人物でないといっても仕事に志がない人には志士の苦労は分かりません。この件、梅田の苦労も大きくはないと僕においては思っております。これらの事も今となっては梅田は帰京し、にわかにご承知とはお察し申します。

 

又咲ふべき一事あり、梅田の着實議論大いに學校の道徳先生を伏し、先生より梅田抑留の願に云はく、「慷慨節義を唱へ候少年摧折の一助にも相成べく」云々の由 松崎生舊臘に至り引つづき二書参り候へども今に復書も致さず候

また笑えるような出来事があり、梅田の着実議論が大いに学校の道徳の先生を論破し、先生から梅田を抑留(身柄拘束)願いが来て言うには「慷慨節義を提唱しており、少年が摧折(挫ける事、威勢に屈する事)の助けになるから」云々とのこと。松崎君から昨年十二月から続いて二書参りましたがまだ返事もしておりません。

 

赤根方へ養子となる積りなるに、夫れも急に行はれ難く、當春上人の許へ往く鷽悟など之れあり候 養子の策は僕初めより失計と存じ候 上人の許へ参られ候はば天下の人材となり候様望む所に御座候

赤根家の養子になるつもりのようで、それも急に行われるのは難しく、当春貴方の許に行く心積りがあるようです。養子の件は僕は初めから失計と思っています。貴方の許へ参られますので、天下の人材になるよう願う所でございます。

 

若し敦木一邑に籠牢されては惜しむべき事なり ここをよく聞かぬ人は國に負くと思ふなり 然れども全く左にあらず 已に天下の人材とならば柱島の醫者可なり、敦木の儒生可なり、二國に生れたる者は二國に死すべく、日本に生れたる者は固より日本に死すべきことは更に論ずるにも及ばず

もし阿月という一村に囲われては惜しい事です。ここをよく聞かない人は国に背くと考えます。しかし全くそうではありません。既に天下の人材であるなら柱島の医者がよろしい、阿月の儒生がよろしい、二国に生まれた者は二国に死ぬべきで、日本に生まれた者は日本に死ぬべきである事は論ずるまでもないのです。

 

此の事同人僕所へ在寓中鄙見相語り候へども其の意に通ぜざると見え、歸郷の後又養子の事を謀りたると見え候 舊臘の二書にも亦其の事を掲出し之れあり候故、僕敢へて對ざるなり

この事は彼らが僕の所へ仮住まい中に語ったけれどもその考えは理解されないと見え、帰郷の後でまた養子の件を計画したと窺えます。昨年(十二月)の二書にもまたその事を書いていましたので僕は敢えて返答しませんでした。

 

上人の意はいかん 僕頃ろ人に謂ひて曰く、「儒人は浮屠出家を以て君父を棄つると爲し、深く之れを罪責す、然れども佛教の興隆、儒道の衰頽、皆此の一事に由る」と

貴方の考えはいかがですか?僕は近頃「儒人は僧となり出家をして君父(世俗)を棄てるとし、深くこれを罪とする。そうではあるが仏教が盛り上がり、儒道の勢いが失っているのも皆このひとつの事柄による」と人に説いています。


十年不忠不孝の身は乃ち百年大忠大孝人たる事を人の知らざること残念なり 松崎生も眞に志あらば爰に心ありたき事なり 如何
   正月念六日     寅再拝
 清狂老上人  座下

十年不忠不孝の身はすなわち百年大忠大孝の人になる資格を持っている事を認めないのが残念です。松崎君も本当に志があるのならばこの心がありたいものです。いかがでしょう。

   正月二十六日     寅再拝
 清狂老上人  座下


拙稿淨録僅々數首、恥づべきの至りなり、附呈仕り候 何卒御叱正の儀祈り奉り候 外に今一稿座下に呈置し、未だ高評を得ざる分之れあり候 御同様御願ひ申上げ候 御寓京中別して御繁劇とは察し奉り候へども、上人の歸國も近からずと相考へ候ゆゑ必ず必ず頼み奉り候

僕の書いた浄録僅か数首、恥ずかしく思いますが添え付けてお送り致します。どうぞ訂正、添削をお願い申し上げます。他に今一稿席に置いたまま、まだ批評を得ていないものがあります。(こちらも)同様にお願い申し上げます。ご在京中、特にご多忙とは思いますが、貴方の帰国も近くはないと考えておりますので必ず必ずお頼み申し上げます。