おべんきょうノート

自分用です。

安政5年4月13日 高杉→松陰

松陰全集6コマ48、49

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玄瑞君も益慷慨、浪華過京師至愉快々々、京師之事實悦可懼可、

玄瑞君も益々意気盛んとし、大阪を越え京都に至ったと聞きとても心が浮き立つようです。京都の事象に直に触れ、さぞ驚喜している事でしょう。


実ニ天下之安危是於決矣、有志之士几臂書枕之時ニアラサルナリ 能眼回諸侯之赤心見、能鼎護明天子扶、然而京師・浪華・江武之地避、以大義謀、是我カ望所也

実に一国の安危はこういう時に決まるのです。志の有る士は机にかじりつき書を枕にしている場合ではありません。よく眼をこらして諸侯の誠心を見極め、鼎(の三足の支え)のように天皇をお守りする。しかしながら京都・大坂・江戸の地は避け、大義の計略を巡らせる。これが僕が考える展望なのです。

 

然則先生者于ヨキ地居謂可、故先ツ父兄之心安使、密ニ門人以沛公為使乎、是固先生常為所、然も我弟子心より而之發、能免セヨ
それならば先生は良い地に居ると言ってよいでしょう。だからまずは父兄を安心させようと、沛公も密かに門人を使わせたのです。これはいつも先生が為そうとしていた事です。そのように僕は弟子心から申し上げます。どうかお許し下さい。

 

玄瑞ハ又別世界且夫京師者、最醫人集會所、避慊及不義、其形醫而其心丈夫、以京師居、實其処得、賓卿者京師行惡シ又伊勢行も惡シ九州行最然々々、有隣君之遊學此節はカタテ悪シ久保ヲシテ京師浪華之間伏見邊に居シムル大妙之事、然雖為可不事、残念々々、
玄瑞はまた別の環境におり、その京都は医学を志す者が最も多く集まる場所です。義を果たさぬかとの心配には及びません。彼の身なりは医者ですが、その心は立派な一男子です。京都に居れば活躍の場を得るでしょう。賓卿(中谷正亮)は京都へ行くのはよくなく、伊勢へ行くのも不都合です。九州へ行くのが一番かと思います。冨永有隣君もこのような時期に遊学するというのはとんでもないことです。久保を京都から大阪の間、伏見あたりへ居させるというのは大変結構とは言え、実行は難しいでしょう。残念です、とても。

 

僕之遊學議論宜舗御頼仕候此先達之議論行ルゝカ行不ルカ之処内々先生之御心得之風ヲシテ小田村君と御相談成下被候ハゝ有難存奉候若シ此議論行申不候ハゝ手段亦アルマシキコトニモナシ然乍成ル事ナレハ相成候様御計頼奉候
僕の遊学に関する話し合いの件、宜しくお頼み申し上げます。上役たちの間で話し合いがもたれるかどうか、内々、先生にも取り計いして頂き、先生の義理の兄上でもある小田村さんとご相談頂ければありがたく存じます。もしこの件に関する申し合わせがなくとも、他にも江戸遊学を実現するための手段はあるでしょうが、何とかなるものであればそのようにお取り計らい下さいますようお願い申し上げます。

 

昨日初度之法事、大困リ致候。何分立タリ坐シタリスルニ目カマイソウナヤウニ御坐候今日も少々者客も之有候得共昨日と者大違ニ御坐候明日カラハ讀書少々仕ラレ候間彌次郎カ誰カヲ御遣シ下被可候様希奉候對讀テナクテハ難儀仕候

昨日、祖父 又兵衛の初七日の法事があり本当に大変でした。何せ立ったり座ったりの忙しさで、目が回りそうなくらいにございました。今日も少しは来客もあるのですが、昨日とは大違いでございます。明日からは読書をする時間も少しは得られますので、弥二郎か他の者をお寄越しくださいますようお願い申し上げます。対読ではなくては、読書もなかなか捗りません。

 

○秋良・小助之上京、ニ州之害爲乎、幸爲乎、僕其別知未、秋良病決而二日酔ナランカ玄瑞之上書愉快々々、半井激發亦悦可、晋惟馬関之議懼足不、然雖玄瑞之上書決而幕府之言受可不在、其言所馬関ハ清末・長府領も御坐候中々此議ハ小藩二て武備も行届不二候間丸二本藩御引取成被候段ナト之議論妙策也

○秋良敦之助と白井小助の上京は長門・周防の)二州にとって害となるか、それとも幸となるか、僕にはまだ分かりません。秋良の病欠は二日酔いではないでしょうか。玄瑞の意見書はとても面白かったです。半井(春軒)が奮い立った事も喜ばしく、僕としては馬関の件は恐るるに足らず。しかし玄瑞の意見書は決して幕府の言うことを受け入れるべきではないとしています。言うところ、馬関の地には清末・長府領もございます。中々この件は小藩では武備も満足に届かず、全て本藩(萩藩)で引き取るのが良い等と申しております。妙策と思います。

 

○野村カ上京も又意有矣

○野村(淳助)の上京にもまた考えがあるのでしょう。

 

○肥後ナト之ウワサ之無様子僕甚怪焉、竹嶋論秋良氏待不

○肥後等の噂がない様子で僕は甚だ怪しんでいます。竹島(開拓許可を幕府に取り付ける件)については秋良氏を待つことはできません。

 

○土屋氏亦一歌人

○土屋(矢之介)氏もまた一歌人です。

 

○仙臺片倉・尾州成瀬・薩侯之大刀、僕恠焉、僕今京師之議論者度、唯近耳遠足在也、草々、此如シ、再拝謹白

○仙台 片倉・尾州成瀬・薩候の大刀については、僕は信用出来ません。僕は今回の京都での件については、身近から聞きはしても、実際には遠方での出来事に過ぎません。取り急ぎ。再拝謹白。


十三日  晋作  松陰先生御案下へ

十三日 晋作 松陰先生御案下へ

 

ニ白、幾重之天下之形勢此節之如クナレハダイフン愉快々々、先生能自愛セヨ晋再拝
追伸、幾重の天下の形勢はこのようになれば、だいぶん面白くなりそうですね。先生、どうぞご自愛下さい。晋 再拝

 

(外封)
サトリトカ云モノヲ開カト思ガ宜舗佛書之有候ハゝ御送下被候

松陰先生御案下

悟りとかいうものを開こうと思うので良い仏教書がありましたらお送りください。
松陰先生御案下