おべんきょうノート

自分用です。

安政4年8月12日 松陰→栄太郎

若し曾子の心あらば即ち竜比の身首分裂と手足を啓くと一般なり

もし全孝を本当に理解していれば竜蓬・比干が王を諫めて刑を受けた事は、臨終の時に門弟子を呼びて「予が手を啓け、予が足を啓け」と心法を示したのと同じである。※1

 

然らずんば則ち牖下に老死するも亦刀鋸の憀辱と何ぞ異ならん

そうでなければ、家の中で老死するのもまた処刑されるのも何も変わらない。


今度三生の誓文御示しに預り感心致し候

この度は三生の誓文をお示しに預かり、感心致しました。

 

之に仍り前書陳明卿の語書附け候 時を以て三生へ御申し傳へ然るべく存じ候なり

  安政四年八月十二日  二十一回生
 吉田無逸 足下

これにより前書、陳明卿の語を書きつけました。

三生へお申し伝えますよう思います。

 安政四年八月十二日  二十一回生
  吉田無逸 足下

 

 

※1

論語『泰伯第八』187にて【曾子、疾いあり。門弟子を召して曰く、予が足を啓け、予が手を啓け。詩に云う、戦戦兢兢として、深き淵に臨むが如く、薄き冰を履む如くせよ、とあり。而今而後、吾れ免れしを知るかな、小子】という章がある。

【若有曾子之心、即竜此之身首分裂与啓手啓足一般不然即老死牖下亦与刀鋸僇辱何異】この文は明の陳明卿の語として陽明学を学ぶ者の中では有名のようで、江戸時代初期の陽明学中江藤樹『翁問答』でも引用されている。

 

『全孝の心法をよく受用すれば竜蓬は桀王を、比干は殷の紂王を諌めて身体髪膚を切り破り身体と首が断たれて殺されてしまったが、病気で死の淵にいた曾子が弟子に対し手足を啓いて一毛も損傷しないことを示したのと同じ孝行である。全孝の心法をよく受用しない人が老衰により家の中で病死して毛一筋も損なわなかったとしても、刀で切られ鋸で引かれるような辱め(刑罰)に合うのと変わりない』という意味。