おべんきょうノート

自分用です。

安政4年8月28日 松陰→栄太郎

要約:江戸へ行く栄太郎に贈る言葉

「吉田無逸を送る序」

 

吾が邑は萩府の近郊に在り、人最も学を好むと称せらる。何如せん、近来乃ち古に如かざるを。吾れ帰囚三年、厳に世と謝す、ここを以て邑中の風教、一切これを度外に措けり。

松本村は萩府の近郊にあり、村人は最も学ぶ事を好むと称されるが、どうしたものか。近頃は昔のように学問を好む気持ちが足りないでいる。私が獄から帰って三年が経ち、世間との交わりを絶った為、村内に於ける道徳・風俗を全く考慮していなかった。

 

独り三無生なる者あり、窃かに来り吾れに従ひて遊ぶ。無逸は其の一なり。三無、余のかくの如きを惜しみ、余の在獄の知己富永有隣を囚中より脱し、以て邑事を商議す

ここに三無生という、密かに来て私に従い遊学する者がいる。無逸はその一人である。三無生は私のこのような事情を惜しみ、在獄の友人 富永有隣が出獄した際、松本村の事を相談した。

 

ここに於いてか、有隣は三無の与に為すあるべきを知り、其の母を南都に省するや、無逸を携ふ。無逸蓋し言論の外に得ることありしならん、帰るや先づ邑中の行なき者を択び、三生を得たり、曰く音、曰く市、曰く溝。

ここにおいて有隣は三無生と共に事を為すべきと理解し、有隣は母を南都へ見舞う際、無逸を連れ立つ。無逸はもしや論じる事の他にも得るものがあるのではないかと考え、帰るとまず郷内の素行の良くない者を選び、三生を得た。彼らは音三郎、市之進、溝三郎という。

 

無逸示すに君父の大恩を以てし、以て之れを感動せしむ。三生深く自ら克責し、遂に以て学に向ふ。無逸乃ち孝経の孝始孝終の二句を録して、以て之れを示す。三生皆泣き、指に針して血を取り、留めて以て信と為す。

無逸は藩公や父への深い恩を説いて彼らの心を動かせる。三生は深く反省し、遂には学問に向かう。無逸は孝経の孝始孝終の二句を書き記して彼らに示した。三生皆涙を流し、血判をして決して偽るまいと誓う。

 

無逸も亦慨然として、血を留めて以て之を証し、因って介して余に見えしめて託を為す。余、文三篇を作りて以て三生に贈る。

無逸もまた心奮い立ち、血判をして証拠とし、私に見せて言付ける。私は文章を三篇作って三生へ贈った。

 

巳にして秀実、記録所の胥徒を以て、将に駕に従ひて東行せんとし、贈言を請ふ。顧ふに、余、無逸と居りしこと一日に非ず、無為に語る所以のもの、寧んぞ尽さざるあらんや。

間もなく彼(秀実/栄太郎)は記録所の小使として将軍に馬に従って東へ行く為、餞別の言葉を欲しがった。思うに私は無逸と共に居て一、二日どころではなく、ありのままに語る事が出来る訳だ。どうして言い尽くさずにいられるだろうか(いや、いられない)

 

乃ち姑く前の三文を録し、其の由を言ひて贈と為す。然れども吾れ是れに因って感ずることあり。程明道曰く「一命の士、苟も心を愛物の存せば、人に於いて必ず済す所あり」と。

暫く前の三文を書き留め、その旨を言って贈る言葉とする。しかし私はこれに伴い感じる事がある。程明道の「一命の士、苟も心を愛物の存せば、人に於いて必ず済す所あり」という語がある。

 

誠をこれ謂ふなり。此の説や、吾れ能く之れを言へども、今は則ち無逸に愧づるあり。無逸亦以て往くべし。胥徒の事たる、繁雑瑣屑、日に以て俛焉たるも、而も為すに足るものなし。間にして出でば、俗吏儼然として以て之れに面臨す。才気ある者、一たび陥らんか、破れずんば則ち折けん。

これは誠の心の事を言っている。この話は、私はよくこの言葉を言うが今は無逸に面目無い気持ちだ。無逸はこれを持って行く。小使は、複雑で煩わしく細かく纏まりがなく、日々勤勉でいるも為すに足るものがなく、暇に外へ出れば俗吏はいかめしい様子で見下す。才気ある者は一旦気が滅入るか、または志が破れ挫折するだろう。

 

唯だ無逸は則ち誠を以て之れを遣らんのみ。胥徒の類たる、群然雑処し、其の営為する所、酒色に非ずんば則ち財利にして、其の言未だ嘗て義に及ばず。才気ある者、一たび投ぜんか、怒らずんば則ち阻まん、唯だ無逸は則ち誠を以て之れを動かさんのみ。

ただ無逸は真心でやり遂げるのみである。小使の仲間に入り混じって潜む、その営みの行き先は飲酒や女遊び、でなければ金銭的利益として、言うまでもなく今までに一度も正しい道徳を為せていない。才気ある者は一旦諦めるか、または怒って阻止するだろう。無逸は真心を持って状況を動かすのみである。

 

聖人の道、蓋し云へらく「君子、道を学はば則ち人を愛し、小人、道を学べば則ち使い易し」と。三生は吾れ巳に之れに任ず。有隣あり、二無あり、吾が邑以て憂ひなかるべし。此の行更に三生に勝る者を得て来れ。

聖人への道は「君子、道を学はば則ち人を愛し、小人、道を学べば則ち使い易し」といわれる。三生の事については私の責務である。有隣にはある、二無生にもある、松本村に憂いはない。この参勤で更に三生に勝るものを得て来てほしい。

 

然りと雖も、吾れ嘗て無逸と語りしこと、徒にかくの如きのみには非ず。江戸も亦一大都会なり、無逸更に其の大なるものを観よ。遂に以て贈と為す。

そうではあるが、私はかつて無逸と語った事をただいたずらに書いただけではない。江戸もまたひとつの大都会である。君はその大きな世界を見よ。これを最後として、餞別の言葉とする。