おべんきょうノート

自分用です。

元治元年3月 稔麿→平野

毛利家文庫年度別書翰集 十四

吉田栄太郎(松村小介)の部分のみです。

 

二日 早朝訣別仕

二日 早朝、別れました。

 

三日 朝箱根山

 四時江尻ニ泊スコレハ馬越夜中阿部川相成不申府中へ参リ候テハ深更ニテ何カ込リ候ニ付泊ス

三日 朝、箱根山を越えました。

 四時(夜9時〜11時?)江尻に泊まりました。これは馬越(静岡)に夜中着いたものの阿部川(安倍川)を渡れず、府中宿へ向かっては深夜になり夜が明けてしまうので泊まりました。

 

四日 暁ヲ冐シ出足

 舞坂ニ泊ス夜渡不相成 夜八時着

四日 夜明けのまだ薄暗い頃に出立。

 舞坂に泊まりました。夜間の移動が出来なかった為。夜八時(1時〜3時?)着。

 

五日

 早晨發足四時宮宿着

五日

 早朝発足し、四時に宮宿(熱田宿/名古屋市熱田区)着。

 

六日

 一番船乗組シ所折悪敷海路潮去リ船不進潮頭ノ又帰来ルヲ待チテ漸々夜四時桑名着実ニ意外ノ難儀ニ御座候此夜直シ

六日

 一番船(始発)に乗った所、生憎と海路の潮が去り船が進まず、潮先がまた帰ってくるのを待ったが全く来ず夜四時に桑名に着きました。実に予想だにしない面倒事でした。夜、元通りになりました。

 

七日

 夜八時入京仕候出足仕候節ハ頂戴物等被御付其上イロイロ佳肴美酒大酩酊仕候滞府中ハ殊外之御厄介罷成御隠宅様御不興之儀ハ無之哉ト今更一層噬臍申候何モヨロシク御取計奉願候當地意儀無之十八日御参内相臍候ハバ廿日頃御發途相成候噂ニ有之候何モマタマタ申上候時候折角御厭専一奉存候恐惶謹言

七日

 夜八時入京。出発する時は頂き物をくださりその上様々な良い肴、美酒をいただき大変酔っ払ってしまいました。滞在中は格別にご厄介になった隠宅(隠れ家)様のご機嫌を損ねた事はなかっただろうかと、今更ですが本当に後悔しております。全てお取り計らいを宜しくお願い致します。現地には意見はありませんが、十八日にご参内を決められ二十日頃ご出発との噂があります。そちらもまた重ねて申し上げます。季節柄もありますので第一にお身体を御厭いください。恐惶謹言

 

十日   小介

ハナサカリニテ至テ面白ク道中筋ハ老若男女伊勢参リ京ハソラモウララカニテ霞タナ引人々ツトトヒニキハシク御座候

十日  小介

花盛りは極めて面白く、道中は老若男女が伊勢参りし京は空も麗かで霞たなびくほどに人々は集い、賑わしくございます。

 

平野様

只今柴田左又太来訪談之中ニ筆ヲトリシタタメ申候

      松村小介

  平野清八様    平安

平野様

ただ今柴田左又太が訪ねて来ておりまして、話の最中に筆を取り認めました。

      松村小介

  平野清八様    平安