おべんきょうノート

自分用です。

歴創の高杉晋作について考えた事をまとめた

歴史創作 高杉晋作について。

私が描く歴史創作の中の話です(史実に基づいている事件・事柄もありますが、直接的な関係はありません)

キャラ設定、私見、個人的な感想なども多々。

みな敬称略。

 


まず高杉晋作は 心理的リアクタンスを持ち、組織ルールには忠実 という相対性矛盾な性格。
*建前と本音をきっちり分けたい
*警戒心が強く繊細
*理想が強く完璧主義
*自己表現(自己開示)は和歌や三味線という芸術で為される
*内向的な人物

として考察する。


心理的リアクタンス理論:人間は自由を制限されると激しく抵抗し、自由を回復しようとする理論。禁止されるとやりたくなる。自分の意思で決めたい。そんな人。
ちなみにアメリカの心理学研究グループが発表した論文では『自分と意見を異にする人が多いときよりも少ないときの方が、自分の考えを変える可能性が高くなる傾向』とある。
なので目上からの説教は一番受け入れられない気質。


リアクタンスは反抗をしながらじゃないと前に進めない。 劣等感をバネとして身近に目標対象を定めるとゲーム感覚で努力するタイプなので伸びやすい。
例えば対象が「1週間で教本を読破した」となれば「1週間以内に読破、更に暗唱まで出来たら(自分に)勝てる」というルールを作る。そしてそのルールをクリアする為の努力をする。ルールという枠組みを自分で作って、自分で壊すまでが一括りだ。
期限に間に合わない場合はルールの中でプラマイゼロ方式を取り、落第点とする。なので結果付け焼き刃になってしまう事もある。最初に定めた目標は落第点で自分が納得した後にしれっと達成しておく(完璧主義故に)ので、余計に負け知らず挫折知らずで繊細な心に育っていく。
壊せなかったルールもベクトルを曲げて突き進もうとする。
自尊心の高い晋作は常に自分との戦いをしていると感じる(同時に同程度の劣等感も持ち合わせている)全て理想的な己になる為のもので勝敗は自分に向けているのに、他人からはマウントをとっていると誤解されやすいやつだ。


内向的:笑わない、陰気という事ではなく秘密主義、自分で考えて実行に移そうとするワンマンタイプのこと(程度の大小はある)精神が常に自分に向いているので内向。自己完結型。そんな人の悩みで多いのは「孤独」「誤解」で、一重に自分の気持ちを上手く他人に伝えられないところが原因
顔に出るタイプでなければミステリアスともとれるが、堪え性のない晋作は表情や態度に出るタイプなので周囲に恐怖や圧力を与えやすく、そのような反応を受け続けると他人への不信感も育ちやすい。

ちなみに気弱な外向的だと分かりやすく言えば「他人に流されやすい、優柔不断」となる。晋作はこの対角にあるといえる。


・学業より剣術に夢中
自分の手で功績を上げる事への憧れがある。勝ち敗けへのこだわり。


松下村塾へ入塾
相互信頼関係を心理学では「ラポール」という。相手が腕を組むと自分も腕を組む、頬を掻けば自分も頬を掻くなど、同じ動作をし続けると親しみが湧きやすく信頼関係が育まれやすい(アドラー心理学私はラポール否定派だけど。
村塾で他人と同じ活動を行い少しずつラポールが養われ、周囲にいる低身分の塾生は(晋作に自覚があったかはわからないが)気を遣ってくれ、彼自身も勉学に励んで人一倍突き抜ける事が出来たためにそれなりに馴染む事が出来たのだと思う。


・煙管を折るの記
栄太郎(稔麿)たちが禁煙した話を松陰から聴き、自分もちょうど煙管を失くしたから禁煙すると誓う。実は失くしていなかった説もあるが、基本的に晋作は自分を理解してくれている(と自分が感じている)松陰に対しては嘘を吐けないのではと思う。嘘を吐くくらいなら黙るのでは。
その後有隣が禁煙の誓いを破り、憤りを見せている。常に自分に向いている精神を他人に向けるのは、晋作にとってはプライドのお裾分けである。だから人とした約束を守り守られるのは彼の中で最重要項目。その後松陰が諫めており、彼の中では「先生がそういうなら」と言葉を引っ込めたかもしれないが、全然納得は出来ていないだろう。挽回するような出来事がなければ後年まで有隣に良いイメージはなさそう。


・江戸へ遊学
念願叶ったので見るもの全て新鮮で楽しかったし意気込んだと思う。


・師との絶交
根が真面目な上、他人の気持ちを上手く察せない。松陰に対しては建前も言えないのでめちゃくちゃ困ったと思う。


・伝馬町獄での師との交流
安易な言葉は何とでも言えてしまい、それは松陰(親愛者)に対して失礼と感じるので金子や差し入れという形で心を添えた。そんな晋作の気質は松陰も理解出来ていたはず。


・師の死
彼にとって松陰は他人の思い出の中ではなく自分と過ごしたただ一人の松陰。今後の身の振り方を真剣に考え悩んだかもしれない。彼は建前と本音はきっちりと使い分けたい性質なので、武士としての自分の将来の答えと高杉晋作そのものの将来の答えの2種類をいつも探し求める。だから悩む時は人一倍鬱々としていたかもしれない。


・結婚
武士としての自分(以下、建前)がまさと結婚。←前の項の建前部分の答えを出した。以後、晋作の悩みは「自分(以下、本音)のいるべき場所はどこか」になり様々なチャレンジを始める。
高杉晋作としての自分(本音)はうのと結婚(意識として)
それぞれ別の役割の自分である為、下関鉢合わせ未遂事件の時にもしまさとうのと自分が鉢合わせていたら建前の自分(理想像)が破綻していた。その後精神的に立ち直り次の行動に移すのにはまた理想像をここから組み立てなければならないので、かなりの時間がかかったのでは?と思う。


蒸気機関修行
次のチャレンジ。合わないとわかればあっさりと船から降り、東北へ向かう。これはリアクタンス項で先に書いた「失敗した自分に落第点をくだすため」のもの。吸収期。


柳生新陰流 免許皆伝
年少より習っていた剣術はこの頃に免許皆伝した様子。


・小姓役となり藩政に関与
先輩や同僚と合わなくて我慢極めてた説をどこかで見た。従いたくない人に従わないといけない仕事は合わないと思う(本人が怠惰や我儘というよりは、我慢してもそのまま体調不良として出てくる)
周囲の期待を理解していたので何とか我慢していた。本人もここで自分は他人と摺り合わせが出来ない気質だと自覚したのではないか→己の中では失敗認定。


・上海渡航
次のチャレンジ。未知の世界でとことん不安を煽られる。そこを英国商売人につけ込まれたりする。
自己完結型、更に0か1しか出来ないので、国防の為に大きな船が『今』必要不可欠だと感じた。『今』必要なものをその時に用意する能力は誰よりもある(いい風に言った)


・英国公使館の焼打ち
この前に起こそうとして失敗した事件(梅屋敷事件)の落第点。仲間意識の確認作業。←松陰の遺骨改葬前にひとつ何か行動を起こさなければいけなかったのではないか?


・東行と号し萩へ隠遁
0か1しか出来ないので引っ込む時も周布が言葉の綾で言った「10年の暇」を希望する。「時期が来るまで」という抽象的な約束は出来ないのでそちらを採用した。結局2ヶ月ほどで出てくる事になるものの、藩公は自分が仕える主なので別に約束を破綻させてもいい存在。結果的に精神のリセットにもなった。


奇兵隊
松陰が描いていたものを形にし、ようやく自分の居場所を得る。この辺りで徐々に武士と庶民の立場、考え方の違いに頭が痛くなってくるが、気にし過ぎても何も出来ないという事も理解している(でも悩む)


・義助、稔麿、九一の死
来島への説得が叶わず、その後野山獄にいる時に来島を含み気心知れた同志がばたばたと亡くなる。池田屋で亡くなった稔麿は予期しない突然の事だったが、義助、九一については「あの時に僕が強硬派を説得出来ていたら」と強く後悔したかもしれない。
情勢も慌ただしくなり気を張った状態が多くなった事でくよくよする時間も無く、それが結果的には良かったのかもしれない。


・九州脱走
脱出先で考える時間が出来、漢詩や書を認める事で過去の自分と向き合い、精神的なリセットを試みた。時間の余裕が生まれた分、じわじわと悲しさや寂しさも出たと思う。晋作は悩むと選択肢を増やしたがるので、筆が多くなる傾向にある(ただし採用するとは言ってない)筆の多さは己の不安を拭う所為。
この辺りの書簡文面から死ぬ覚悟を決めている(自分を奮い立たせようともしている)大庭伝七には自分を襲った野々村勘九郎のことを悪く言わないでやってほしいと言いつつ、その野々村勘九郎から5両借りたままなので返しておいてほしいという話もしている。死後の話もしている。


人物評について

吉田松陰「有識の士なり。しかし、学問をつとめず。またすこぶる意に任せ自ら用うるの癖あり。余かつて玄瑞を挙げ以て晋作を抑ゆ。晋作の心、甚だ服せず。未だ幾ばくならず。晋作の学業にわかに長じ、議論益々たかし。同志皆為に衽を斂む。余事を議するごとに多く晋作を引き之を断ず。その言往々、あなどるべからざる也」
「高杉生、僕より少きこと十年、学問充たず、経歴浅し。然れども強質清識凡倫に卓越す」

この人物評がやはり的確。


渡邊嵩蔵 「久坂と高杉の差は、久坂には誰も附いて往きたいが、高杉にはどうにもならぬと皆言う程に、高杉の乱暴なり易きには人望少なく、久坂の方人望多し」
ワンマンタイプは緊張、圧を与えてしまうので同輩、後輩からは近寄りがたい人物。


富永有隣「彼は反復の士なり」
“繰り返す”という意味合いよりは、中国語寄りの“黒か白か”という二者択一の意味合いでは。


奥村五百子「(長州に潜入した際に)男装の自分を女であると見破ったものはただ高杉晋作一人あるのみである。高杉はさすがに豪いところがあった」
他藩の者に関してはより警戒心が強くなるので違和感にも気付きやすい。


他村塾四天王との関係について

久坂玄瑞
(晋作が)自己を確立する為の目安であり、指針。
松下村塾への入塾はやはり『久坂に誘われた』という点が一番大きかったと察する。久坂は美少年・優等生・学業優秀だから、晋作が年少の頃はしゃくに触るというか鼻持ちならない時期もあったのではと考える。久坂は家族を早くに亡くしているので、晋作もその辺りで何らかの気持ちの変化があったかもしれない。


晋作の性格上、其々の立場の者から何かを勧められた時は
以上:その人物への好意によるが、大概は反骨心をもってしまい手を出さない。そもそも目上に対しては本心を明かさずフィルター越し(建前、理想の自分として)にものを見ているからハマりにくい。
同等:興味があれば手を出し、その後は自分の知的好奇心や興味の持続次第。面白いだろ?と本音を当てられた場合認めるのはしゃくなので、ま、まぁもうちょい続けてもいいかな?みたいになる(ツンデレかよ)
以下:低身分への保護心から一応手を出してやるが、最初から冷めた目なのでなんだこんなものかと軽く見がち。ハマればとことんハマる。自分と同じレベルの話が出来なさそうな人は最初から相手にしない。
個人的にはこうなっていただろうかと考えている。


吉田松陰桂小五郎との話の中でも分かる通り、晋作の気質をよく理解していた。久坂、晋作を双璧に据えて柔らかなピラミッド型組織にした事で晋作は外部からの精神的な刺激も少なく居場所を得られたのだろうと感じた。


ワンマンタイプはまず様々な他人に触れて「自分を知られる為に相手を知る」、心を開示するところからだと私は思う。耳が痛いです。


晋作は『期待されたい人』から期待されると頑張れる人。期待されたくない人からは期待されたくない。なのでやはり久坂はたまに晋作を褒めておくべきだったと感じる(九一伝いで褒めてたかもしれないけど)
ただしこのタイプはあまりに褒めすぎると媚びと受け取り、下に見て舐めてくる気質なので度合いが難しいところ。


完璧主義による吸収型の晋作は自分が良いと思った事は模倣、吸収、努力を始めるので、隣に秀才型の久坂がいるのはとても精神的支柱になったろう。と同時にどうやっても自分では真似出来ない部分(内面やら外面やら)にも、かなりもやもやしたろう。
安政期の晋作は、やたらネコ好きのネコアレルギーみたいな精神状態になっていると察する。文久に近付くにつれ、晋作の中の「双璧ルール」で久坂が何をどこまで進んだのかが気になって不安になる。先に言ったけども、久坂は晋作の目安であり指針だからだ。


ちなみに久坂に(大病や怪我や蟄居などで)まとまった時間的余裕があったとしたら、共依存関係になっていた可能性もある。そして晋作が新しい指針を見つけるまでその関係は続く(見つけたら顧みなくなる)二次創作かよ。


吉田稔麿
似た者同士の羨ましがり合い。晋作は0か1しかできないが、稔麿は0を0.1刻みに0.7にする事ができる。気質自体は非常に似ていて、我慢出来るか出来ないか、理想主義か現実主義かの差。
例えば花を育てるとしたら稔麿は失敗をしても何度も重ねて生き物の世話が出来るのに対し、晋作は失敗が続くと次第に面倒になり怒って「こんなもん農民にやらせとけ!」と放ってしまう(縦割り社会では正解中の正解)そんな差。

しかし晋作の場合、通常なら我慢を強いられる環境を家柄や金銭で補う事が出来る立場にある。そこを稔麿はとても羨ましく思ってしまい、同時にコンプレックスでもあるのだと思う。

学問で身分差を縮めようと野心を持つ稔麿(だけではないが)は、現時点では久坂と晋作と同等の学識を持つが故に自らの身分差を強く感じ、家族の反対もあり、憂いてしまったのかと考える。


ただやはり観察眼はあるので、褒められて席を立った晋作に対し「…怒ったか?」となる久坂に「照れとるんじゃ」と言えるイメージはある。妄想です。


入江九一
何故九一の言葉で晋作を抑えられるのか。
①弱みを握られている
②四天王の中では年長者だから
③怒ると怖いという事を知っている(もしくは以前こっぴどく怒られた事がある)

④過去、兄弟で松陰に味方し投獄になった件で一目置いている
ひとつずつだと理由として弱いので、全部可能性としてはありそう。①は弱みというよりは、九一が様々な情報を経由している立場なので制された時に我に返りやすいとも考えられる。もし久坂や桂に報告でもされたら恥なので制されやすいのか。③は完全に妄想の域ですが、経験がないと中々止まらないんじゃないかと。
書簡では相談したいから近くまで来たら自分の元に寄るように頼んでいるので、信頼関係はとても良好なんだろう。


桂小五郎
晋作から小五郎への書簡を見る限り本音の自分を今更隠す事もない相手と考えているのかと思う(彼は自分を見限らないと知っていての言葉かは不明だが、それこそ身内のような信頼関係、繋がりが窺える)この人を池田屋で失っていたら晋作はかなり早い内に表舞台から退出してた。
桂が晋作(だけじゃない)の人格を否定をしない慎重かつ穏便な性格であるのと、昔からよく知る優秀なお兄さん、というところが大きいのかもしれない。

 

『甘え』は心理学では共通見解が定まっていないものの

①その行動や依頼がその人の年齢、社会的立場、身体的状況、経済的状況などから考えて通常は強要されないと『見ている人が』考える(第三者が)

②許容されると期待している(本人が)

という条件が揃った時に『甘えている』状況と言えるとされる。桂と晋作のファンの共通認識として「晋作は桂に甘えている」となるのは当然の流れかと思われる。なので久坂に対しての書簡での『甘え』は甘えといえるかはわからない(②が当てはまるかが微妙)

 

赤禰武人

何にでも当てはまるが、現役にとって昔の感覚のままのOBほど厄介なものはない。晋作には死が近付いていたのもあって起死回生を計り、赤禰はその煽りを受けた者の一人という流れでそれ以上も以下もないのだと思う。たらればはない。
功山寺決起により、重ねてきた交渉が打ち切られ三家老が処刑されてしまい完全に心が決裂してしまった。
それまでは晋作と活動を共にしていたり三代目総管職も与えられていて、教法寺事件の前に将棋を指していた逸話などもあるので、関係は良好だったと考えられる。

 

坂本龍馬

坂本の勉強が足りなくて、その時の彼の所属が長州だったのか土佐だったのか薩摩だったのか把握出来てない。ピストルの土産もたまたまその場にいたからか、わざわざ坂本のために選んだのか、坂本がねだったのかわからない。ただ他藩(浪士)で晋作と仲良くなれたのすごいな?あなた伊藤利助タイプですか?という感想しか湧かなかったごめん。

 

 

 


ここは辞世の句(とされている和歌)について書こうと思ってる部分でした。


疲れたのでまた今度