おべんきょうノート

自分用です。

赤禰武人贈位反駁書(1911年)

明治44年、赤禰篤太郎(赤禰武人の養父 赤禰忠右衛門雅平の実子)は、明治政府が行っていた維新殉難者への贈位によって赤禰武人復権させようとし、その時に反対した山県有朋の反駁書の一部。

 

赤禰武人贈位反駁書(上)

報效志士人名録第二輯、赤禰武人の條に曰く

報効志士人名録第二集、赤禰武人の項で言うには

(報効志士人名録第二集 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780217 コマ120〜)

 

文久三年武人、義助、晋作等京ニ上ル、三月将軍家茂入朝、十九日朝廷攘夷ノ令ヲ下ス、

文久三年、武人、久坂義助、高杉晋作ら上京する。三月、将軍家茂が宮中に参上する。十九日、朝廷は攘夷の命令を下す。

 

晦日勅して藩ノ西宮守衛ヲ免シ、對馬ヲ守ラシム、尋テ藩、居城ヲ周防山口ニ移ス、武人藩ニ歸リ攘夷ノ勅ヲ奉シテ事ニ從ハント欲シ、砲臺ヲ赤間關ノ海峡ニ築ク、
三十日、天皇の仰せにて藩の西宮守衛の任を解き、対馬を守らせる。続いて藩は居城を周防山口に移す。武人は藩に帰り攘夷の仰せを賜り事に従おうとし、砲撃の為の要塞を赤間関所の海峡に築く。

 

五月十日始メテ通航ノ米國商船ヲ砲撃ス、商船走リ去ル、
五月十日、初めて通航中のアメリカ国商船を砲撃する。商船は走り去る。

 

二十三日佛國商船ヲ砲撃ス商船発砲して藩船ヲ□リ去ル、
二十三日、フランス国商船を砲撃し、商船は発砲して藩船を□り去る。

 

二十六日蘭國軍艦ヲ砲撃ス、蘭人應戦互ニ死傷アリ、
二十六日、オランダ国軍艦を砲撃し、オランダ人は応戦、互いに死傷者が出た。

 

六月朔日米國軍艦ヲ砲撃ス、米人應戦藩ノ二艦ヲ撃沈シ、互ニ死傷アリ、
六月一日、アメリカ国軍艦を砲撃し、アメリカ人は応戦、藩船二艦を撃沈し、互いに死傷者が出た。

 

六月五日佛國軍艦來撃シ、遂ニ砲臺ヲ陥ル、互ニ死傷アリ、武人毎時盡力苦闘シタリ、
六月五日、フランス国軍艦来撃し、遂に要塞を攻め落とされる。互いに死傷者が出た。武人は毎時全力を尽くし苦闘した。

 

六月十日、武人、晋作等ト議シテ一兵團ヲ組織シ、藩内及ヒ諸藩有志ノ徒ヲ募ル、之ヲ奇兵隊トス、武人主トシテ隊中ニ入リテ之ヲ統卒ス、(中略)
六月十日、武人、晋作らと協議して一兵隊を組織し、藩内及び諸藩有志の徒士を募集する。これを奇兵隊とし、武人は主として隊の中へ入り、彼らを統率し、(中略)


九月寄兵隊総督ヲ命ス

九月、奇兵隊総督を命じられる。

 


赤禰武人贈位反駁書(下)

報效志士人名録ニ於ケル赤禰武人ノ記事ニツキテハ、曩キニ其ノ謬妄ヲ辯シテ、之ヲ史談会会長大原伯爵ニ送致シ置キタリ、
報効志士人名録における赤禰武人の記事については、先にその根拠のないでたらめを話し、これを史談会会長の大原(重朝)伯爵に送り置いたものだ。

 

然ルニ其後又同會ヨリ赤禰武人事歴補遺ナルモノヲ送リ來タリタルヲ以テ、早速之ヲ一讀スルニ、余ノ責任上黙過シ難キ所アリ、更ラニ數言ヲ費ヤサザルヲ得サルニ至レリ
それなのにその後また同会より赤禰武人の来歴を補ったものを送って来たのを用いて、早速これを目を通すと、私の責任上見て見ぬ振りをする事が出来ない箇所があり、更に数言口を挟まねばならぬに至った。

 

赤禰篤太郎氏ハ武人ノ實歴ニツキテ、史談會ニ提出シタル所ノ記事ハ右提出前ニ余及ヒ故野村子爵ノ一閲ヲ經、
赤禰篤太郎氏は武人の来歴について、史談会に提出した所の記事は右にあり提出前に私及び、故 野村(靖)子爵の検閲を経た。

 

從ツテ余等ノ承認ヲ得タル者ノ如ク演説シ居レトモ、斯クノ如キハ、人ヲ誣フルノ甚シキモノニシテ、余ハ曾テ何人ヨリモ右記事ノ校閲ヲ託セラレタルコトナク、又之ヲ校閲シタルコトモアラサルナリ、
従って私達の承認を得た者のように演説しているが、このように人を欺くなど常識の域を超えている。私は会の誰からも右記事の校閲を託される事もなく、またこれを校閲した事もない。

 

余ニシテ若シ右ノ記事校閲シタリトスレハ、余ハ疾クニ其ノ大部分ヲ抹匿シ若シクハ修正スルノ機會ヲ有シ、今ニ及ンデ故ラニ辯正ヲ行フノ必要ハ之ナキ筈ナリ、
私がもし右の記事を校閲したとすれば、私は早くにその大部分を削除、もしくは修正する機会を有し、今に及んで故人の弁を正す事を行う必要はない筈だ。

 

又余ハ右ノ記事ヲ校閲シ、從ツテ之ヲ承認シタリトスレハ、史談會長タル大原伯爵ヨリ、特ニ書面ヲ以テ右記事ノ錯誤ナキヤ否ヤヲ紹會セラルルノ必要モ之ナキ筈ニテ、
また私は右の記事を校閲した上でこれを承認したとすれば、史談会長である大原伯爵から特には書面をもって右記事の間違いがあるかないかを紹介する事も本来は必要ない筈だ。


余ト故野村子子爵トハ、校閲從ツテ承認シタリト云フハ、史談會ニ於テモ、思フニ今度初メテ之ヲ耳ニシタルコトナルヘク、余ハ演説者ノ為メニモ、竊カニ之ヲ惜シマサルヲ得ス

私と故 野村子爵とは、校閲に従って承認したと言うが、史談会においても、思うにこの度初めて耳にした事なので、私は演説者の為にも、密かにこの事を惜しまざるを得ない。