おべんきょうノート

自分用です。

安政6年4月22日頃 松陰→杉蔵(九一)

「自然説」
松陰 在野山獄

入江 在岩倉獄 

餘り怒りよるととうとう腹もなんにも立たぬ様になる。吾れは腹はもう立てぬ。併し又立てたら夫れも自然と恕して呉れ。
怒りも過ぎるととうとう何も感じなくなる。僕はもう腹を立てない。しかしまた腹を立てたらそれも僕の本来の性質だと許してくれ。


子遠子遠、憤慨することは止むべし。義卿は命が惜しいか、腹がきまらぬか、學問が進んだか、忠孝の心が薄く成ったか、他人の評は何ともあれ、自然ときめた。死を求めもせず、死を辞せもせず、獄にあっては獄で出来る事をする、獄を出ては出て出来る事をする。
子遠子遠、怒りに身を任せる事は止めよう。松陰は命が惜しいとか、決心が出来ないとか、学問は進んだのかとか、忠孝の心が薄くなったとか、他人の評価は言うまでもなく事の成り行きで決まるものだ。死を求めもせず、死を辞せもせず、獄に居るならば獄で出来る事をするし獄を出たならば出て出来る事をする。


時は云はず、勢は云はず、出来る事をして行き當つつれば、又獄になりと首の座になりと行く所に行く。吾が公に直に尊攘をなされよといふは無理なり。 
時期や時勢は別として、出来る事をして行き当たればまた獄に入るとも斬首になるとも行く所に行き着く。我が藩主に直接「尊攘をなされよ」と言うのは道理ではないだろう。

 

尊攘の出来る様な事を拵へて差上げるがよし。平生の同志は無理に吾が公に尊攘をつき付けて。出來ねば夫れで自分も止めにする。無理につき付けて見た事、是れ迄は義卿もどうよう。是れからは手段をかへる。周布・前田輩に向って言うたは幾重も吾れが不明。
尊攘の出来るような事を周りが拵えて差し上げると良い。普段の同志は筋を通さないまま我が藩主に尊攘を突き付け、出来なければそれで自分も諦めようとする。筋道を立てず突き付けた事、これまでは僕も同様だったが、これからは手段を変える。周布・前田(孫右衛門)に向かって繰り返し話したのは僕に物事を見抜く力がなかったからだ。


然れども其のときは御存じ通り皆已むべからざるしだいあり。矢張り自然じゃ。吾れを永牢して出さねば夫れも自然。出してくれれば、はや覆轍は踏まぬ。政府は勿論、食禄の人に對しては何も言はぬ。又其の時の曲折は今から言はれはせぬ。大意は足下江戸にて案じ付いた通り、又吾が輩未だ勅諚を聞かぬ内の手段なり。 

しかしその時はご存知の通り、皆仕方のない事情があった。やはり成り行きである。僕を永久に牢へ入れ出さないならそれも自然。出してくれればもう同じ轍は踏まない。政府には勿論、食禄の人に対しても何も言わない。またその時の時勢の変化については今から言えはしない。大まかの意味は君が江戸で案じていた通り、僕が未だ勅諚を耳にしなかった上での手法である。


○我れ若し南柯の夢に入らば、天子に直に言上すべし。其の次は吾が公に言上すべし。其の他大原卿などは曽て知己を以て許されたれば兎に角一言すべし。其の外には言はず。 
◯僕がもし南柯の夢(「南柯記」の故事)に入れたらば天子に直接申し上げよう。その次は我が藩主に申し上げるよう。その他大原卿などは兼ねて知己を介して許されるならば兎に角一言伝えよう。その他には何も言わない。

 

今から人が温言して來れば温言して答ふ。厲色して來れば瞑目して居る。怒聲して來れば黙然して居る。彼の輩は實に較ぶるに足らず、惡むに足らず。頻りに和議を言うて來る。子遠・和作の誠心には感じて居るとて頻りに辯じて來る。

これから人が穏やかで優しい言葉をかけてくれば、僕もそのように答える。厳しい顔をしてくれば目を閉じている。怒り声で来るならば何も言わずに黙っている。彼らは実に比べるまでもなく、憎むまでもない。しきりに仲直りの相談を言ってくる。子遠・和作の気持ちには感動する、と言ってしきりに取り計らってくる。


吾れ未だ一言を答へざれども、是れは自然の道に非ざる故、温然として答ふる積りぢゃ。如何。僕も諸友に先立ちて來獄したれば少しは人より罪重けれども、未だ死罪を賜はらぬは、未だ忠義の罪軽きなり。

僕はまだ一言も答えてはいないが、これは自然の道ではないから穏やかな気持ちでもって答えるつもりでいる。どうだろう?僕も友人より先に来獄していれば少しは人よりも罪が重かっただろうけども、未だに死罪を賜らないのは未だ忠義の罪としては軽いのだ。

 

今死を求むるは微功にて重賞を求むといふものなり。今からもっと積まねば死は賜はらぬと存じ候。

今、死を求めるのは少しの功で手厚い賞を求めるようなものだろう。今からもっと(功を)積まなければ死は賜られないのだと思う。