おべんきょうノート

自分用です。

安政6年4月11日 松陰→久坂

*亢龍は易学二十八宿のひとつ。真っ直ぐな龍という意味。『亢龍有悔』という慣用句があり「天高く究極まで昇りつめた龍は最早それ以上昇るところはなく、下ることのみで後悔する」ということ。

*何心隱論は蔵書ではなく焚書

*萱野勘平は萱野三平重実の事か。歌舞伎などでは(役名が)早野勘平。

 

昨夜は一晤、所謂雨に遇ひて吉なるものか 李氏藏書の何心隱論をみて義卿は先づ亢龍にして置いて呉れ給へ 尤も龍は變ずるものなれば、亦一定もて之れを目するなかれ

昨夜はお出ましいただき、所謂雨に遇いて吉(和解の兆し)となったろうか。李氏蔵書の何心隱論を見て、最初に義卿は亢龍であると理解しておいてくれたまえ。当然、龍は変化するものだからこうであると決めて判断しないように。

 

而も義卿如き小人物では捌けず、事を済す有用の大人物になられかし 夫れは扨て置き、彌二内輪へ心置きの事に付き二子去後色々案じたり 先づ彌二身上にて云へば是れ等の事も皆玉成の資なり

それでも尚僕のような小人物では上手く取り扱えなかった、事を成せる役立つ大人物になられよ。それはさておき、弥二が家族に対し心配をしている事について二人(久坂・小田村)が去った後色々と考えた。まず弥二の身の上において言えばこれらの事も全て立派な人物になる為の財産である。


此の一事親に負くと云ふ事が心にあれば他の孝道必切なり 此の六ヶ敷き所を處し慣れて置かねば、天下の難事は中々此の段に非ず 萱野勘平が事も思ひ合わせよ 此の段は彌二にも云ひたまへ

この事(内緒で獄へ赴く事)が親に背くと感じるのであれば他の孝道(孝行)が必要である。この難しい所を対処し慣れておかないと、世の中の難事はなかなかこの程度ではいかない。萱野勘平の事と比べて考えよ。この件は弥二にも言いたまえ。


又親の心を恕すれば亦落涙、夜行にて往先も不分明なれば、若しや酒色に堕落どもはせぬかと心をもむべし 然れども人にも云はぬことなれば所謂老婆心憐むべし 又僕子遠の心にては吾が輩の爲めに彼れ母子を苦心さすること氣の毒なり

親心を考えれば(同情も出来るし)涙が落ちる。夜中(に出歩いているから)行き先もはっきりせず、もしかして酒や女に堕落でもしているのかとやきもきするだろう。しかし人にも言わない事ならば度が過ぎた心遣いは憐むべきである。また僕と子遠が思うには同志の為に彼ら親子を苦心させる事は気の毒である。


諸友も此の心は同じくし呉れ給へ 因つて昨夜略ぼ申候様兄様等福原・作間・有吉など仰せ合され、折々夜往きて讀書にてもしてやり給へ

友人達もこの思いを共有してくれたまえ。よって昨夜あらかた申したように君達や福原・作間・有吉などと相談し、たびたび夜に行って読書でもしてやりたまえ。


孟子齊人一妻一妾の章に「未だ嘗て顯著の來るあらず」と 此の語絶妙 婦女子の心然り、母心更に甚しきなり 是れ迄僕大いにのかりけり 故に丁寧之れを言ふ
   十一日       松陰

孟子の五人一妻一妾の章に「而未嘗有顯者來」と。この語はこの上なく上手く表現されている。婦女子(から見る)の気持ちはそうであり、母心なら余程だろう。これまで僕はとても思慮が足りなかった。故に入念にこれを言う。

   十一日       松陰