おべんきょうノート

自分用です。

安政6年1月27日 松陰→杉蔵

子遠に語ぐ

念七日
家兄臨まる。星巌の往復、幕府弁解等数密議あり。又前田の説あり、諸友の絶交の事に係る。
夜、子遠獄に来り、船越清蔵、村田蔵六、萩に来るの事を談ず。
    ○
子遠に語ぐ  正月念七夜
桂生吾れをして諸友と絶たしむ、今謹んで其の言を奉ぜり。独り汝は絶つべからざるものの存するあり、故に絶たず。

兄 梅太郎がおいでになる。梁川星巌の往復書簡、幕府への弁明等の事を幾つか話した。また、前田孫右衛門の話があり、友人(村塾生徒等)との絶交の事に関わる。
夜に子遠(入江九一)が獄を訪れた。船越清蔵と村田蔵六が萩に来る事を話し合う。
    ○

子遠に申し伝える。一月二十七日 夜
桂君が私に多くの友人との縁を絶たせた事、今私は謙虚にその言葉の意味を受け止める。一人君は私との関係を絶たないまま存在している。だから縁を切っていない。


汝其れ之れを察せよ。防長絶えて真の尊攘の人なし、吾れと雖も復た尊攘を言ふを得ざるなり。然らば則ち防長唯だ汝一人のみ。切に自ら軽んずるなかれ。

君には諸々の事情を察してほしい。防長(周防と長門)に真の尊攘の心を持つ者はいない。とはいえ、私自身にも尊攘と口にする資格はない。ならば要するに防長では唯一君一人のみ。心から君が君自身を粗末にしないように願う。

 

汝、国を去りて後は僧となるを妙と為す。一には決志の機あり、二には身を隠すの便あり、三には生活の計あり。且つ僧侶にして反って天朝を尊ぶことを知る者あり。禅学も亦心志を定むるに足るものあり、是れ亦一益なり。
君は故郷を去り、僧侶になるのが良いと思う。理由として一つは志を為す機会を待つ為、二つは身を隠すのに便利だろう、三つ目は生活のあてになる。そして僧侶になってから逆に天子を尊ぶ事を知る者もいる。禅学もまた大いに志を定めるのに十分なものであり、とても役に立つものだ。

 

兵は精なるを貴び、衆きを貴ばず、況んや有志の士は募りて求むべきものに非ざるなり。切に記せよ、伏見の事、万々敗蹶背ば即ち嘯集して賊となれ。
頼政の事は汝固より自ら任ずる所なり。但し今日の時勢、宜しく佳賊となるべし、切に無頼の賊となるべからず。

兵は選りすぐった優秀な者を大事にし、その他の者はその様にしない。まして志を持つ者を募っても皆が求むべきものではない。よく覚えておきなさい、伏見の策が失敗したならば人を呼び集めて賊になれ。君は頼政源頼政)の様になる事を頑なに自らに課している。但し今日の時勢、ぜひ優れた反逆者となり、絶対にならず者にはならないように。

伏見の事とは、安政六年三月に松下村塾生より選ばれた「十死生」が、参勤途中の長州藩毛利敬親を京都伏見で迎え、大原重徳等尊攘派の公卿に引き合わせて上洛し、勅許を得て幕政の過失を正そうとする計画。松陰の指示により野村和作が京都に向かったが失敗した。

徳川は万々扶持すべからず。徳川を扶持するは、聖上の大仁なり。然れども仁既に至らば則ち之れに継ぐに義を以てせざるを得ず、義尽くれば則ち仁其の中に在り。天祖の訓へに曰く、「宝祚の隆えまさんこと、天壌とともに窮りなし」と。此の言、天胤世々信奉すれば則ち天下太平なり。
徳川家とは決して助け支え合うべきではない。徳川家を世話しているのは天子の偉大なる人徳があるからだ。しかし天子の慈しみが皆々に行き渡ったならば、これを受けた人々は臣下として守るべき真心を尽くさねばならず、真心を尽くす心の中に仁徳はある。天照大神の教えでは「皇位を貴べば、天地と共に終わる事はなし」とある。この言葉は、要は「天皇の子孫を信奉すれば世の中は平和に治まり穏やかであろう」という事だ。

 

草莽の臣切に謂へらく、聖上社稷に殉じたまひ、天下の忠臣義士一同奉殉せば、則ち天朝寧んぞ再興せざるの理あらんやと。
天朝の論、万一姑息に出でば、神州中興の理なし。吾れ将に中興の論を上らんとするも、思慮未だ足らず、且く後日を待つ。

仕官していない臣下である私が心より言わせてもらえば、天子が国家のために命懸けで尽くされ、世の武人一同で主君や国家に対して忠誠を尽くしたなら、どうして再興しない道理があろうかという事だ。

朝廷の論は『もしもその場逃れをすれば神国日本再興への道理はない』。私もどうにか再興の為の意見を上げようとしたが、まだ考えが足りず思案しながら機会を待つ。


墨夷を屈せしむるの辞、吾が説を首と為す、聴かずんば則ち平象山の説之れを佐けん、猶ほ聴かずんば則ち干戈を用いて可なり。是れ亦仁至り義尽くるの論なり。汝識高く胆大、吾れの愛敬する所なり。恨むらくは才足らず、学尤も足らず、怨讎の気過当なり。是れ汝の病なり。
『戌午幽室文稿』の「対策一道」にある条約拒否の一文である私の考えを軸に話し、聴かないのであれば佐久間象山の考えを話し、それでも聴かれなければ武力を用いるのがよい。これは仁義を尽くす為の論だ。君は見識に優れ度量が大きく、私はそういう所を敬愛している。残念なのは才気が足りず、学んだ時間が(他生徒と比べて)一番足りず、仇を怨む気持ちが度合いを越えている所、これは君の欠点だ。

 

必ず荘四を罪せんと欲するが如き、是れ過当の怨讎なり。然れども吾れの有隣を怒るも、亦此れに類す、並に宜しく改むべし。
必ず田原荘四郎を罰してやろうと、これが度を超えた怨みの気持ちだ。しかし私が富永有隣に怒りを覚えるのも、また同じ事だ。同様に改めるべきである。

伏見の事で野村和作を捕まえたのが田原荘四郎。

才は言ふに足らず、学に数種あり、礼楽制度は興王の規模にして、自ら其の人あり。戎馬甲兵は攘夷の籌略にして、自ら其の人あり。但だ、真心実意、自ら信じ自ら靖んず、道学の心法、真箇に味あり。

才はとりたてて言う程の事はなく、学問にも幾つかある。社会秩序を正しくする「礼」や心を和らげる「楽」を基本にした政治制度は、勢い盛んな国の王の手本である。軍馬や兵士は外国人を追い払うための計略である。ただ真心や誠実さが己に自信や安心をもたらし、性命義理の学問である心の修練は、まことに意義のある事だ。

 

吾れ曾て王陽明伝習録を読み、頗る味あるを覚ゆ。頃ろ李氏焚書を得たるに、亦陽明派にして、言々心に当る。向に日孜に借るに洗心洞箚記を以てす。大塩も亦陽明派なり、取りて観るを可と為す。然れども吾れ専ら陽明学のみを修むるに非ず、但だ其の学の真、往々吾が真と会ふのみ。
私は前に王陽明伝習録を読み、とても面白さを覚えた。この時分李氏焚書を手に入れ、また陽明派でもあるので一語一語が心に響く。以前、品川弥二郎に借りた洗心洞箚記によれば、大塩平八郎もまた陽明派と見て知る事が出来る。しかし私はもっぱら陽明学のみを学んでいるわけではなく、ただその学の本質が度々私の志と重なるのだ。

李氏焚書陽明学左派 李卓吾が引退後著した書
洗心洞箚記→大塩平八郎が著した書

今のせかい、老屋頽廈の如し。是れ人々の見る所なり。吾れは謂へらく、大風一たび興って其れをして転覆せしめ、然る後朽楹を代へ、敗椽を棄て、新材を雑へて再び之れを造らば、乃ち美観とならんと。
今生は、古びて崩れ落ちた家屋のようだ。これが人々から見た世界である。私の考えでは、嵐を巻き起こしてこれを転覆させ、その後朽ちた太い柱や垂木を皆棄て、新しい材料で再建するならばとても立派になるだろう。

 

諸友は其の老且つ頽なるものに就き、一楹一椽を抜きて之れを代へ、以て数月の風雨を支へんと欲す。是れ吾れを視て異端怪物と為して之れを疎外する所以なり。汝に非ずんば安んぞ吾が心を知らん。
多くの友人はその老朽した家屋にこだわり、朽ちた柱や垂木だけを取替え、数ヶ月雨風を凌げばよしとする。彼らは私を異端と見做し、疎外しているのだろう。君以外に私の心を知る者がいるだろうか、いや、いまい。

 

是れに由りて之れを観るに、尊王攘夷豈に其れ容易ならんや。須らく中大兄と鎌足と南淵先生に往来し、路上に如何の話を為せしかを思量すべし。(余書してここに至り覚えず泣下る。自ら其の由る所を知らざるなり)吾れ本と愚物なり、然れども吾が家の家風学術、篤厚真実を以て世々相伝ふ。
これに添って二つ(の考え)を比べると彼らは「尊王攘夷」をどうしてそう容易に考えられるのだろうか。皆、中大兄皇子中臣鎌足南淵請安先生の書を行き来し、合間にどうすべきかをあれこれ考え意思確認すべきだ。(ここまで書いて思わず涙が溢れる。自分でも何故かはわからない)私は本当に愚か者だ、されども吉田家が世職とする山鹿流兵学を、人情厚く誠実に志を持って多くの世代に受け継いで伝えていく思いだ。


ここを以て吾れの敬愛する所と、其の吾れを敬愛する者と、皆忠厚の君子なり。之れを軒輊すること実に難し、然れども一、二之れを言はん。
それ故に私自身の長所とする所と、そんな私を敬愛してくれる者は皆真面目であり学識、人格に優れた者だ。これに優劣を付ける事は難しいが、しかしながら、一、二言伝えよう。

 

旧友は前書に略ぼ之れを言へり。新知の暢夫、識見気魄、他人及ぶなし。但だ一暢夫を得て之れに抗せしむるに非ずんば必ず害を生ぜん。然れども両暢夫相抗すれば必ず一暢夫の斃るる者あらん。是れ亦憂ふべきなり。此の間の苦心、吾れ桂と一言せしに、桂も之れを首肯せり。
君には前の書簡でおおよその事を言ったが、高杉晋作は何事にも屈しない強い精神力を持ち、誰にも追いつけないだろう。ただ、晋作一人に従うだけになりがちであると、必ず害が生まれる。しかし彼の短所を矯正しようとすれば必ず長所をも潰してしまう。これはとても心配な事だ。私はこの苦労を桂君と話し、彼も肯定した。

前書=「子遠に与ふ」(安政六年一月十七日)

無逸の識見は暢夫に彷彿す。但だ些の才あり。是れ大いにその気魄を害す。気魄一たび衰へば識見亦昏む、歎ずべし歎ずべし。諷するに老屋の説を以てせば、或いは一開発あらんか。抑々面従腹誹せんか亦未だ知るべからず。
吉田栄太郎の物事に対する正しい判断、考え方は晋作ととても良く似ている。ただその少しの才能が大いに彼のやる気を邪魔している。やる気が一度失えば正しい判断もぼやけてしまう、とても嘆かわしい。老屋の例えを持って遠まわしに諭せば、もしかしたら新たな展開があるだろうか。そもそも人の前ではへつらい内心で非難するような性質なのかもまた、未だに知る事が出来ない。

 

但し前日絶粒の事の如き、八十.子楫.無咎、各々諌書あり。その懇惻は則ち感ずべし、然れども吾れを罵りて短慮と為し無益と為し人の笑ひを胎すと為すこと、乃ち士毅と雖も論じ得て透らず。試みに之れをして無逸に語らしめば、無逸は則ち微笑せんのみ。固より吾れの慮短きに非ざるも、才の長ぜざるを知ればなり。嗚呼、鐘子期に遇ひ難しとは其れ唯だ無逸か。実甫の才は縦横無碍なり。
しかし前日、私が時事に痛憤して絶食をした時のように佐世八十郎(前原一誠)、岡部富太郎、増野徳民から各々過ちを諌めるようにと書かれた書簡が届いた。その心から心配するような文面に、その時は感動した。しかし私を罵り考え無しとし、無益とし、人の笑い者となった、それは小田村伊之助といえども論評となっているが筋が通っていなかった。試しにこの事を栄太郎に話してみるとその時は彼は微笑むだけだった。昔から私の気短さからではなく才が成長していないのに気付いていたからだ。ああ、鐘子期に似て私を理解している者は栄太郎ただ一人か。久坂玄瑞の才能は柔軟であり妨げになるものはない。

 

暢夫は陽頑、無逸は陰頑、皆人の駕御を受けず、高等の人物なり。実甫は高からざるに非ず、且つ切直人に逼り、度量亦窄し。然れども自ら人に愛せらるるは潔烈の操、之れを行るに美才を以てし、且つ頑質なきが故なり。之れを要するに、吾れに於いて良薬の利ある、当に此の三人を推すべし。

晋作は陽気な頑固者、栄太郎は内に秘めた頑固者、二人は他人の指図を受けない、崇高な人物である。玄瑞はそこまでではなく、誠実に人との距離を近付けていくが、人の言動を受け入れる心の広さは萎んでいる。しかし人に求められると潔く、優れた才を持って行動出来るのは、意地を押し通す性質が無いからだ。要するに、私が期待するこの三人を推すべきである。


八十は勇あり智あり、誠実人に過ぐ。所謂、布帛栗米なり、適くとして用ひられざるはなし。其の才は実甫に及ばず、其の識は暢夫に及ばず、而れども其の人物の完全なる、二子も亦八十に及ばざること遠し。
八十郎は勇気と知性があり、誠実さは常人よりある。所謂、もめん、絹、米、粟同様に必需品であり、何をするにも役立たない事はない。その才能は玄瑞には及ばず、その見識は晋作に及ばず、それでも八十郎に欠けたところはなく、二人もまた八十郎に及ばないところにいる。

 

吾が友肥後の宮部鼎蔵は資性八十と相近し。八十父母に事へて極めて孝、余未だ責むるに国事を持ってすべからざるなり。子楫は鋭邁俊爽なり。然れども吾れ常に其の退転せんことを惧る。退転の勢一旦萌すことあらば、駟馬もこれに及ばず。吾れ平生最も愛する所は子楫.無逸なり。
私の友人である肥後の宮部鼎蔵は気質が八十郎と似ている。八十郎の両親の事を考えれば、私は彼に対して国事に奔走するよう強くは勧められない。岡部富太郎は才知が鋭く品性も抜きん出ており、どこまでも進展するだろう。しかし私は常に彼が努力を怠り元の状態に転落してしまうのではないかと心配している。怠惰が一旦芽生えてしまえば、駟馬(四頭で引く馬車)でも止められない。私が常日頃より最も好む才能は富太郎、栄太郎である。

 

無逸は吾れ其の才敏なるを愛し、子楫は吾れ其の気鋭なるを愛す。皆その己れに似たるを愛す、皆吾が過ちなり。無逸の頑は吾れ或いは平にすること能はざらん。是れ其の敬すべき処なり。子楫は其の頑なし。
私は栄太郎の聡明なところ、富太郎の気力の鋭いところを気に入っている。他の者もそれに似たところを好んでいるが、私に言わせると少し違う。私に栄太郎の頑なさを懐柔する力はない。これは尊敬すべきところだ。富太郎にはその頑なさはない。

 

然れども気自ら恃むべし。且つ子楫は母賢に弟友なり、以て家を託するに足る。是れ宜しく責むるに国事を以てすべきなり。是れ吾が心赤の語なり、汝切に記せよ。福原は外優柔に似て而も智を以て之れを足す。子楫の鋭気愛すべきに如かず。然れども其の頑固自ら是とする処は子楫及ばざるなり。
それでも気力の面で自分を頼みにしている。しかも富太郎は賢い母と仲が良い弟がおり、家を安心して託す事が出来る。これは責任ある国事を為すに必要なのだ。これは私が真心からでた言葉であるから、君は大切に記憶したまえ。福原又四郎は物腰の柔らかさが知識と合わせて外面に出ている。富太郎の気力には届かず。しかしその頑固さと自分がこれと決めたら動かぬところは富太郎には及ばないだろう。

 

無窮は才あり気あり。一奇男子なり。無逸の識見に及ばざれども、而も之れに勝るに似たり。無咎は更に二無に及ばず、而れども一味の着実あり、又気魄あり、大節に臨みて、亦苟も生きざるなり。
松浦松洞は才能もやる気もある。貴重で面白い男子だ。栄太郎の見識には届かずとも、これに勝るような似た才能がありそうだ。増野徳民は更に二人には及ばないが、着実に成長を見せる。また気概もあり、国家の存亡に関わろうと命懸けで臨む決意である。

 

子徳は満家俗論にして、恐らくは自ら持すること能はざらん。然れどもその正直慷慨未だ必ずしも摩滅せず、則ち亦時ありて発せんのみ。子大は俗論中に在りて、顧って能く自ら抜く、篤く信ずと謂ふべし。
有吉熊次郎は満家俗論であるから、おそらくは自らの決意を固く守らないだろう。しかし世の中の不満不平による怒りはまだすり減らせておらず、何かの拍子に発するのみ。作間忠三郎は議論中に、よく思い巡らせ自分に必要な意見を選び取れる、深く信頼出来るだろう。

 

亦些の頑骨あり、愛すべし。日孜は事に臨みて驚かず、少年中稀覯の男子なり。吾れ屢々之れを試む。天野は鑒識あり、其の日孜を取ること頗る吾が見に似たるも、子大を取らざるは、則ちこれを信ぜず。
また少々主張や意地を頑固に押し通そうとする性質がある、大事にせよ。品川弥二郎は事を為す時にも落ち着きがあり、少年の中では稀に見る男子だ。私_もしばしば見本とした。天野清三郎は見識があり弥二郎に足ると私が見たところでは似ているが、忠三郎に足らない内はまだ分からない。

 

天野は奇識あり、人を視ること虫の如く、其の言語往々吾れをして驚服せしむ。誠に李卓吾の如きを得て之れを師とせしめば、一世の高人物たらんも、恐らくは遂に自ら是とし、其の非を知らずして死せん。
清三郎は人並み優れた見識があり虫のように(複眼)人をよく眺め、語を交わせば私も驚き敬服する。李卓吾のようになり、師とさせれば、一世の立派な人物となるだろうが恐らく自分を正とし、その非を知らないまま死ぬだろう。

複眼→つまり、近付いて様々な角度から物事を見る

吾が交友中に於いて暢夫.日孜を除くの外は其の意に当る者なし。噫、奇識なるかな。
嗚呼、世、材なきを憂へず、其の材を用ひざるを患ふ。大識見大才気きの人を待ちて、群材始めて之れが用を為す。

私の友人内において晋作、弥二郎を除く他に相応する者はいない。本当に優れた見識だ。
ああ、今世に人材がいないことを悲しむのではない、人材が採用されないことを嘆くのだ。非常に優れた見識や才能の持ち主が現れはじめて、群れとなり事を始める。

 

吾が交友中、言ふに足る者なし。汝の知る所は仙吉.直八.松介.伝之輔.小助.太郎。太郎.松介の才、直八.小助の気、伝之輔の勇敢にして事に当る、仙吉の沈静にして志ある、亦皆才と謂ふべし。然れども大識見大才の如き、恐らくは亦ここに在らず。天下は大なり、其れ往いて遍く之れを求めよ。

私の友人内では特に述べたてる必要はない。君の知るところでは、岡仙吉、時山直八、杉山松介、伊藤伝之輔、山県狂介、原田太郎。太郎と松介の才能、直八と狂介の気概、伝之輔の勇敢さにて行動に当たる、仙吉は冷静沈着にして志がある、また皆才能というべきものだ。しかし非常に優れた見識や才能の持ち主は、ここにはいない。世界は広い、あらゆる所に赴き大見識大才気の人材を求めよ。