おべんきょうノート

自分用です。

文久2年11月 御楯組 攘夷血盟書

文久2年11月

攘夷血盟書(気節文章)

久坂玄瑞

 

此度我々共、夷狄を誅戮し、其首級を掲げ罷帰、急度攘夷之御決心被為遊、今般被仰出勅意、速に致貫徹度存詰発足候処、恐多も世子君御出馬被為遊候て、壮士感服の至に候得共、我等孤立ニてハ心細ニ付一先帰参、尊攘之実功補佐呉候様御懇切之御教諭被仰付、一同不堪感泣之至、必竟此度之一挙も、君上も後ニ仕候、義毛頭無之、御決心之段奉祈候て之事ニ付、
この度我々は、異人を亡き者にし、その討ち首を掲げて戻り、必ず攘夷のご決心を固めていただくつもりでありましたが、この度勅意をお言い付けになられました。最後までやり抜き通すべく急いで活動を始めようとした所、恐れ多くも世子様がご出馬なされ、その豪壮勇敢さには感銘を受けましたが我々が単独行動になれば不安が残る為、一先ず帰って参りました。尊王攘夷の実行補佐につくよう、呉侯のように非常に懇意で細やかに仰せられ、一同たまらず感涙に至り、つまるところこの度の企ても、君主のお気持ちは二の次でした。義は少しもありませんでした。ご決心願いしました事に付きましては、


此後ハ益忠誠を励ミ御奉公可仕段申上引取候事ニ付、此同志中之義ハ斃るゝ迄ハ十三日夜之次第、忘却候ては不相叶百折不屈夷秋を掃除し上ハ、叡慮を貫き下ハ君意を徹する外他念無之国家の御楯となるへき覚悟肝要たり
今後は益々忠誠に励みご奉公致すべく申し上げた次第です。この同志の義は倒れる迄は十三日夜の決心だけは忘れず、必ず何度失敗しても不屈の意志でもって異人共を排除し、天子のご意向を貫き、徹する事意外に他念無く、国家の御楯となる覚悟であります。


同志中一旦連結之上ハ進退出処尽く相謀り自己之了簡ニ任すましき也
⚫︎同志、一度結集する上は進退出処など全て謀り、自分自身の思案で動かない。

 

同志中落途有之歟、又ハ所存相違有之時ハ何国まとも論弁すへし、面従腹誹ハ於武士道愧へき処なり
⚫︎同志、落伍したりまたは意見が違えた時はどこまでも議論し合う事。面従腹背は武士道の恥ずべき所である。

 

秘密之事件ハ父母兄弟たりとも洩すへからす、万一被召捕、八裂ニ逢とも致露顕等義有之間敷也
⚫︎秘密事は父母兄弟にも洩らさないように。万が一召し捕えられ、八つ裂きにされても決してその秘密を話してはならない。


御楯組中一人たりとも恥辱を蒙る時ハ、其余之恥辱たり、相互ニ死力を以救援し組中之汚名を取ましき也
⚫︎御楯組の一人が恥辱を受ける、それは他の者が恥辱を受けたも同様である。互いに死力を尽くして仲間を助け合い、御楯組の不名誉になる事があってはならない。


我々共死生を同し、正気を維持するに付ては、いか計離流顛沛ニ逢とも尊攘之志屈し撓へかよらす、聚散離合を以志を変するハ禽獣と謂へし、幾千里を隔とも正議凛然見苦敷振舞有之間敷也
⚫︎我々は死も生も共にし、この気概を維持するにおいては、計画が流れ実行に躓いたとしても尊王攘夷の志は決して折れず、途中で離合集散し志を変える者は、けだもの同様である。幾千里を隔てても正義凛然とし、見苦しい振る舞いはしない。


右、同志之契約致違背候時ハ、幾応も令論弁、万一承引無之ニおゐてハ、組中申合詰腹ニ及ふへし、依て天神地祇ニ誓ひ血盟する事如件

この契約に違背した時は、どのようにしても論弁を言い付け、万が一承諾しなければ御楯組の決め事により切腹とする。従って天神地祇に誓い、ここに血盟する。

 


御楯組メンバー日付順

文久ニ年
戌十一月
高杉晋作久坂玄瑞、大和弥八郎、長嶺内蔵太、志道聞多、松島剛蔵寺島忠三郎、有吉熊次郎、白井小助、赤禰幹之丞、品川弥二郎
十一月二十六日
瀧弥太郎、堀真五郎、佐々木次郎四郎
十一月二十七日
山縣初三郎、長野熊之允、山田市之允
十一月二十八日
周田半蔵、冷泉雅次郎、瀧鴻二郎
文久三年正月二十一日
三戸詮蔵
正月二十九日
佐々木男也、楢崎八十槌、吉田栄太郎、野村和作