おべんきょうノート

自分用です。

文久2年2月15日 淵上→下川

後で訳し直します

 

 

謹而呈一書候 今般天下に一大事之儀差起り、兼而人間の道相辨へ候者共は是非参り不申候ては難叶候事故、御願も不申上家出仕候事は何共不孝之至に御座候へ共明て難申上儀も有之出奔仕候

謹んで一書申し上げます。この度天下に重大な事件が起こり、兼ねて人道を心得ている者達は必ず参らなければ実現は難しい事ですので、お願いも申し上げずに家を出る事は何とも親不孝の至りでございますが、全てを明らかに申し上げにくい件もあり脱藩致します。

 

いづれ四月には事相済可申候へば五月始には兄弟共罷帰り可申候間必御心配無御座様偏に御願申上候 扨又借財筋之儀是迄深く御心痛遊ばされ候事

どちらにせよ四月には事が済むとすれば、五月始めには兄弟共に帰りますのでご心配をなさらぬようお願い申し上げます。さてまた借金の件はこれまで深くご心痛された事と

 

私共重々推察仕候へば、何分にも忍兼候へ共此儀も事成候上には銀主の方へも、夫々払向候様手配致置候間、私共両人他出中は払出方一切相謝置被下候様御願申上候

私も重々推察しており、何分にも忍びかねますが、この件も事を成した上で銀主の方へもそれぞれ払いに向かうよう手配致し置いておりますので、私共両人の外出中は払出方には全て謝り置きくださるようお願い申し上げます。

 

少々は尊大人様御氣之毒に思召候事も御座候半と相察申候へ共、天下の為と被思召何事も私共罷帰り候迄は御忍び被下候様、是又奉願候

少々はお義父様をお気の毒に思う気持ちもございましょうとお察ししますがお国のためとお考えいただき、何事も私共が帰るまでは耐えてくださいますよう、こちらもお願い申し上げます。

 

夫是迄色々と虚言申上候儀は何共恐入候儀に御座候へ共、御大名様を始下同志之面々、天地神明に誓候て、他言不仕と申合せ候事に付、大切の親様へも、事を明し不申候

そもそもこれまで色々と嘘を申し上げた件は本当に申し訳ない事でございますが、お大名様を始め以下同志の面々で天地の神々に誓って他言しないようにと申し合わせた事ですので、大事な親様へも内容を明かせませんでした。

 

不孝の罪天地之間に難入程御座候も此節私共兄弟孝道相立候様人より一倍相働候様兼々兄弟申合せ候 此節事起り候 人數凡五千余 其内私儀は御国に而は発端人之壱人に御座得者天子之御爲にも夫丈け人より深く御座候様存居申候

親不孝の罪は天地の間に入り難いほどでございますも、この度私達兄弟は孝道に立てるよう人より一倍と働きますよう前々より兄弟で申し合わせていたところ、この度の事が起こりました。人数およそ五千人あまり。その中で私はお国においては発端者の一人でございますが天皇の為にもそれだけ人より(関わりが)深くございますように思っております。


尊大人様にも是迄医者々々日夜之勤大事等毎日被仰候得共、かゝる大事之発端之壱人に候得者何分被聞候事も相用不申御心痛相かけ候罪は何共難相忘御座候

お義父様にもこれまで医者医者と日夜の勤めが大事などと毎日仰られますが、関わる大事の発端の一人でありますので、何分お聞かせられる事も出来ずにご心痛をおかけする罪は何とも忘れ難くございます。

 

乍併事御聞之上に而は定而御喜悦被遊候事も御座半哉と奉存候、最早かゝる一大事に相及候へば、尊大人様にも大丈夫之勇者之御心持に相成被下候はば、私共兄弟之者、如何計り恐悦之至奉存候

しかしながらお聞きの上においては定めてお喜び遊ばせる事もあるのではと思っております。最早かかる一大事に及ぶので、お義父様にも勇気ある一男児のお心持ちになってくだされば、私達兄弟もいかばかりか恐れ多くも喜びの至りでございます。

 

大鳥居等は此節に親子参り「おこと」など前以承知致候へ共勇立候て、夫や子の出陣を何之苦にも被思候事も無之、実以感心之至に御座候

大鳥居はこの時期に親子参りをし、おこと(人名)も前もって承知致しておりましたので、奮起した夫や子の出陣を何の苦しみにも思われる事もありません。実に感心の至りでございます。

 

婦人でさへ夫や子の出陣を何共相思不申、まして尊大人様兼ての御気前にては、事憂苦被遊候訳も有之間敷、母様を始まさ共迄も心配不仕候様、御引立被下候様奉願候

婦人でさえ夫や子の出陣をなんとも思っていないのです、ましてやお義父様のお気前には憂苦遊ばされる訳もあるまじきに事、母様を始め、まさ達迄も心配せぬようにお引き立てくださりますようお願い致します。

 

此場に至り候ては、人間の人物柄相分り候事故、かゝる子供二人も相持候親丈、屹度有之と人よりも被申立候様有御座度重々奉願候且又先文申上候借財之儀も、かゝる一家之内より兄弟二人出奔致位之大変故、此訳を以て御謝り被下候様奉願候

この場にいたっては人間の人柄が分かる事から、かかる子供二人も持った親だけの事があると人からも申されたく重々願っています。かつまた先ほど文章で申し上げましたが借金の件もかかる一家の中から兄弟二人脱藩したくらい大変な事ですので、この理由で謝ってくださりますようお願い致します。


此紙面之趣は、来月十五日迄は、如何なる人にても御他言被下事破れ候様にては、私共兄弟一命相捨候分は少も相厭不申候へ共、二三國之御大名様第一禁裏様へ之御申訳も無之

この手紙の事は来月十五日迄はどのような人だとしても他言して事が破れるようになっては、私達兄弟が命を捨てるのは少しも厭いませんが、二、三国のお大名様や第一禁裏様へ申し訳なくなります。

 

実に身の置処も、生ても死ても無之候間、御他言被下間敷様奉願上候右之段乍涙書残申候、余は目出度帰郷之上可申上候恐惶謹言

 文久二年二月十五日記   淵上丹二
尊大人様     玉床下

本当に生きても死んでも身の置き所がなくなりますので、ご他言されませんようにお願い申し上げます。以上、涙ながら書き残します。後は見事に帰郷の上で申し上げましょう。恐惶謹言。

 文久二年二月十五日記   淵上丹二
尊大人様     玉床下