おべんきょうノート

自分用です。

慶応4年閏4月11日 世良→楢崎

楢崎頼三宛

楢崎頼三陣中日記(https://www.d-library.jp/hgi02/g0102/libcontentsinfo/?conid=138563)では楢崎は閏4月13日にこの書簡を見た様子。

 

引続御尽力奉察候 然は庄内表も賊兵甚多勢にて暴動致し、薩長僅百五六十人の兵にては、防禦も行届兼、他藩に応援申付候得共、会討出兵に托し彼是差閊耳申立

引き続きご尽力いただいております。庄内方面もとてつもなく大勢の兵が暴動致しており、薩長の僅か150、60人の兵では防ぐ事も手が回らず、他藩に応援を申し付けましたが会津への出兵を理由にかれこれ差し支えがあると耳にしました。

 

昨今の模様にては進退に究し可申、一昨日鮫島忠左衛門罷越、南部兵一大隊差出申候 前段の次第に付、白川口も仙台を頼みにては不相成、只御地の兵出張を相待申候

近頃の様子としては進むか退くか(の判断に)詰まっております。一昨日、鮫島忠左衛門が参上し、南部兵の一大隊を差し出すと申しました。そういう次第に付き、白河口も仙台藩をあてにしてはなりません。ただそちらの兵が出張る(出向く)をお待ちしております。

 

まずは幸便に托し呈一書候。早々不乙

閏四月十一日 世良

楢崎様

まずは幸便に託し、一書差し上げます。草草不乙(急ぎで書いたので十分に気持ちをお伝えできない文章になってしまったかもしれませんが、御了承ください)

閏四月十一日 世良

楢崎様