おべんきょうノート

自分用です。

元治元年12月 高杉→大庭

元治元年12月

 

その後打ち絶え御無沙汰仕り候段恐れ入り奉候、弟事もいまだ死処を得ず赤面の至りに御座候、御承知の通り御両殿様御身上へも迫り候次第臣子は死も余り有る時節に御座候、

その後音信も途絶えご無沙汰致しまして、申し訳ございません。私も未だ自らの死に場所を得ることが出来ず、誠にお恥ずかしい限りです。ご承知の通り両殿様の御身に迫っている危難を思えば我々臣下一同は死をもってしても余りある状況でございます。

 

先日長府出張の時も一言も御相談申し上げざる儀深き思慮これあり候事に御座候あいだ、悪しからず御含みおき下さるべきよう頼み奉り候、

先日、長府へ出張した折に一言もご相談申上げなかったことに付きましては心に深く思うことがあったが故ですので、どうか悪くお思いになりませんようお頼み申し上げます。

 

弟事も毛利氏恩古の士今日に至り士民同様の心底は寸分これなく候あいだその段かねて御存じの儀と心知奉り候、偸生家の讒言にて府公にも弟等の事色々と思し召され候由残念至極に御座候、

私も毛利家恩古の家臣の一人です。今日に至り武士も民衆も心根に寸分の違いがない事については、以前よりご存知の事と思います。誹謗中傷の告げ口をされてしまい、長府公も私を色々と悪く思し召されている事が残念でなりません。

 

しかしながら人生の事けだし棺定今日言語を以て弁解仕り候も愚なる事に御座候なり、洞春公卸正統の府公の事ゆえたとい追討仰せつけられ候とも露ほども御恨みは申し上げず候、
しかしながら人生が成したか成せていないかは棺の蓋を閉めた時に初めて定まるものだと申します。今日、あれこれと弁解申上げるのも愚かなことでございましょう。洞春公の教えを正しく受け継ぐ長府公の事でございますから、例え(私を)追討せよと仰せられたとしても露ほどもお恨み申し上げたりは致しません。


なる事ならば弟等の心事生前の中府公へ明白相成れかしと祈るところに御座候、それゆえ追々歎願書も差出し候覚悟に御座候あいだ野々村諸君へも悪しからず仰せ入れ候よう頼み奉り候、
出来る事ならば、私の思いを私が生きている内に、長府公にご理解頂きたいと祈るところでございます。ですから追々嘆願書を差し出すつもりでいますので、野々村(勘九郎)たちのことも悪く仰せになりませんようお願い申上げます。


我等府城を離れも必墲府公を深く思い奉り候ての事に御座候ところ裏腹に相成り讒言を請じ候段千万遺憾の至りに御座候、

私達が長府城下を離れておりましたのは長府公を深く思っての事なのに、その思いとは裏腹に中傷を受け、甚だ遺憾に思っております。


とても死後ならでは不明白と落着仕り候心事御推察願うところに御座候、弟もし馬関にて死する事を得候わぱ招魂場へ御祭り下さるよう願い奉り候、
死んだ後でなくては到底明白にはならないと覚悟を決めた今の心境を是非ともご推察頂きたく思います。私がもしも馬関で死んだ時は、招魂場へお祭り頂けますようお願い申上げます。


まずは右頓首、弟も私情なき者にはこれなく候えども国家の大難胸中火の如く小事を忘れ候あいだわざと御推察頼み奉り候、
まずは右の通りにて。私も情を持たぬ者ではありませんが「国家の大難が胸中を火のように焦がしている為つい小事を忘れていたのだ」とご推察の程お頼み申します。

 

筑前以来お世話に相成り且つ帰関の後寄宿をも願い知己と相誓い候て一言も申し上げず出関仕り候事も無情のようには御座候えどもこれまた有情の極みと相考え候、
筑前以来お世話になり馬関へ帰った後も寄宿を願い、心を許しあった朋友であると誓っておきながら一言も申し上げず馬関を出た事も無情のようにございますが、これもまた有情の極みだと私は考えております。

 

御家内様にも理非知らぬ者と御譏りもこれあるべく候えどもそのへん御弁解頼み奉り候、なおまた筑前にて野々村より金五両拝借仕り候ところいまだ帰すを得ず候あいだその段もよろしく御致声頼み奉り候、
御家族も道理を知らぬ者と私の事を悪く仰るかと思いますが、ご弁解頂けますようお願い申上げます。尚また筑前で野々村(勘九郎)から五両拝借しておりますが、まだ返却出来ずにおりますのでその件に付きましても宜しくお伝え下さい。


御珍蔵の小屏山陽の書は陣中の一楽と盗み去り候間さよう御承知下さるべく候、前文に申し上げ候通り赤間関の鬼と相成り討死致すの落着に御座候あいだ別書の通り碑をお建て下さるよう御面倒ながら頼み上げ候、
ご珍蔵なさっていた小屏、頼山陽の書は陣中の楽しみにしたく勝手に持ち去りましたので、そうご承知頂けますようお願い申上げます。前文でも申し上げましたように赤間関の鬼となり討ち死に致す決意でございますので、別書の通り墓碑を建てて頂けますようご面倒ではございますがお願い申上げます。


井上少輔、三好大夫へも弟の心事お通し下さるよう願い奉り候、白石翁にも御無沙汰仕り候あいだ、よろしく御致声頼み奉り候、弟事は死しても恐れながら天満宮のごとく相成り赤間関の鎮主と相成り候志に御座候、
井上(時田)小輔、三好大夫(三好内蔵助/家老 三吉周亮)へも私の気持ちをお伝え頂ければと思います。白石翁(白石正一郎)にもご無沙汰しておりますが、宜しくお伝え頂けますようお願い申上げます。私は死しても天満宮のようになり、赤間関の鎮守となる志でございます。

 

入江角次郎も御地へ参りおり候由この段御通達頼み奉り候、死後に墓前にて芸妓御集め三紘など御鳴らしお祭り下さるよう頼み奉り候、別紙の時作御覧頼み奉り候、拝白

伝 七 様         梅之助
入江角次郎も御地へいらっしゃるとの事ですので、この件をお伝え頂けますようお願い申上げます。私の死後は墓前に芸妓を集め、三味線などを鳴らしてお祭り下さい。別紙、詩作を御覧頂けますようお願い申し上げます。拝白。


奇兵隊開闢総督高杉晋作、則
西海一狂生東行墓
遊撃将軍谷梅之肋也、

毛利家恩古臣高杉某嫡子也、
月 日

売国囚君至らざる無く
生を捨て義を取るこれこのときか
天祥高節功略成る
学を欲する二人一人を作る

国を売り君主を囚え至らざる無く

生を捨て義を取るはこの時か
文天祥の堅い信念、鄭成功の策略
二人を学び、忠臣ただ一人とならん

 

老兄は口にては申さず候えども、御誠心の御方と存じ奉り候ゆえ、このようなる事を申し上げ候、御他言は御無用に存じ奉り候、もし老兄御幽囚にも相成り候わば入江角次郎へこの段仰せつけられ候よう頼み奉り候、死して忠義の鬼となる、愉快々々、

伝 七 様 梅之助

貴方に申し上げた事はございませんが、私は貴方が嘘偽りのない誠の心をお持ちであると知っているので、このような事を申し上げるのです。他言無用に願います。もし貴方が幽囚の身になるような事があれば入江角次郎にこの事をお伝え下さい。死して忠義の鬼となる。愉快、愉快。

伝七様 梅之助

 

墓前にて芸妓をお集下さるよう、そのほか祈り上げ奉り候、

墓前にて芸妓をお集め頂くこと、その他の件に付きましてもお願い申上げます。


又□□死の内はこの書状を他人へお示しなされ候時は知己と思わざる也、筑前にての酔倒憶い起し候也、

大庭伝七様          谷 梅之助

拝呈

また□□死の内はこの手紙を他人へ見せた場合、もはや貴方のことを知己とは思いません。筑前で(共に語り合い?)酔い潰れたあの日を思い起こすはずです。
大庭伝七様     谷     梅之助

拝呈