おべんきょうノート

自分用です。

慶応元年正月 淵上→下川

従浪華一翰啓上仕候、時下余寒烈敷御座候へ共、御双方様御始、益々御機嫌克被為遊御座居奉賀候、次に野生儀も無異儀消光罷過候間乍憚御降心可被下置候、

浪華(大坂)より一翰差し上げます。この節残寒厳しくございますが父母様を始め、なお一層ご気分良くお過ごし遊ばせられて居り心よりお喜び申し上げます。私も特に変化無く日々を過ごしておりましたので、恐れ入りますがご承知置きください。

 

偖去年秋頃より九州辺へ度々渡海筑藩へ取入、月形洗蔵始へ合談、夫是迄之周旋致、数十万之兵卒も空敷引払候迄尽力仕、遂に今日之形勢に為到候處、古来よりも有り来し候通り、功業高大にしめ身危しと申儀、頗る私之今日に御座候、

さて去年秋頃より九州辺りへ度々渡航筑前藩へ入り、月形洗蔵氏と談合をしました。これ迄周旋を致し、数十万の兵士も虚しく退去する迄尽力しましたが、遂に今日の成り行きとなり到った所、古来からもあります通り『功業高大にしめ身危し』との言葉は非常に今日の私と重なります。

 

乍去長州へ洪大なる恩義を請候儀、少々は報い候廉も相立、数十万の難儀を解き候儀に付、仮令身は如何相成候共、毛頭相構不申積に御座候間、御宿元にも私共兄弟之儀最早如何相成候とも御赦免被下置度奉願上候、

そうではありますが長州へ非常に大きな恩義を受けた事も少々角が立ち報復を受けており、数十万の苦労を解く件に付いて、例え我が身がどうなろうとも少しも差し支えない思いでございますが、ご宿泊先にも私達兄弟の事、最早どうなろうともお許しくだされおきますようにお願い致します。

 

此度公卿方筑前へ御動座に就ては、不日御復職之事に不相成ては不宜儀に付如何之都合に有之候哉、京地の事情探索、御復職之下地繕之上京仕候、

この度の公卿方が筑前へご動座される事についてですが、すぐにご復職されないのは宜しくなく、こちらに関してのご都合はいかがでしょうか?京都の事情探索もご復職の為の下準備となるので上京致します。

 

外に筑州藩財用之事に付、少々尽力之事も有之旁々に付登京仕候、甚微賤薄智之者にて高大之所業に取かゝり、身は薄氷之厄きにして苦心不可言、御推察可被下候、是も世之形勢に御座候、

他に筑州藩の費用の事で少々努力する事もあり、いずれにしても京都へ向かいます。身分も低く浅学な私が名誉ある仕事に取り掛かり、我が身も薄氷を踏む思いで臨み言葉では表せない程に苦悩しました。ご推察ください、これも世相でございます。

 

先般下川親父様迄拙書差出候砌、有馬監太夫迄幽囚人之事に付、一策相呈置候處、御同人より差出に相成候哉、彼是右之儀に付ては自然御難題に共は不相成哉と懸念罷在候、

先達って下川親父様(下川瀬平)まで書簡を差し出した時に有馬監物氏まで幽囚の身となった事で一策示し置きましたが、ご同人から差出になりましたか?以上の件に付いてはおのずと難しい問題にならないだろうかと懸念しています。

 

当表之首尾相片付候はば、近日中筑藩へ罷下り可申、其上にては竊に得拝眉申べく、先は好便に付一寸捧愚札候  早々頓首
 正月    郁太郎事 林田勘七郎 祐広(花押)
尊大人様
猶々時下折角御自愛被為遊奉祈候

表立っての処理が片付きましたら近日中に筑前藩へ下り、その上で密かにお会いしてお話致します。先ずは書簡にて失礼致します。早々頓首

正月    郁太郎事 林田勘七郎 祐広(花押)
尊大人様

時下益々努めてご自愛くださいますようお願い致します。