おべんきょうノート

自分用です。

史記 淮陰侯列傳第三十二 ③

八月、漢王舉兵東出陳倉、定三秦 漢二年、出關、收魏、河南、韓、殷王皆降 合齊趙共擊楚 四月、至彭城、漢兵敗散而還 信復收兵與漢王會滎陽、復擊破楚、京索之閒、以故楚兵卒不能西

(紀元前206年)八月、劉邦は挙兵し東の陣倉に向かって三秦を平定した。漢の二年(紀元前205年)、函谷関を出て魏の地を収め、河南、韓、殷王も皆降服した。斎、趙と共に楚を撃った。四月、彭城に至り、漢軍は敗北して引き返した。韓信はまた敗北した兵をまとめて漢王と滎陽で会い、再び楚を京と索の間で撃破した。これにより楚の兵士はこれより西へ行く事は不可能となった。

 

漢之敗卻彭城、塞王欣、翟王翳亡漢降楚、齊、趙亦反漢與楚和 六月、魏王豹謁歸視親疾、至國、即絕河關反漢、與楚約和 漢王使酈生說豹、不下 其八月、以信為左丞相、擊魏

漢軍が彭城で敗北して引き返すと塞王 司馬欣と翟王 董翳は漢から楚へと逃げた。斉、趙もまた漢に背き楚と和睦した。六月、魏王 豹が謁見し親の看病がしたいと休暇を願い出たが河関に着くとたちまち漢に背き楚と和睦した。漢王は麗生を使役して説得させたが実らなかった。その八月、韓信を『左丞相』に任じて魏を撃たせた。

 

魏王盛兵蒲阪、塞臨晉、信乃益為疑兵、陳船欲度臨晉、而伏兵從夏陽以木罌缻渡軍、襲安邑 魏王豹驚、引兵迎信、信遂虜豹、定魏為河東郡

魏王は蒲坂の軍備を固め、臨晋から攻撃されるのを塞いだ。韓信は大軍であるように見せかける為に船を並べ、臨晋から渡る素振りを見せたが実際は木罌缶を浮かべて夏陽から伏兵軍を渡河させ安邑を襲撃した。魏王は驚き兵を率いて韓信を迎え撃ったが、遂に魏豹を捕虜とし、魏国を漢の河東郡とした。

木罌缶→木製の口が小さく腹の大きな酒器

 

漢王遣張耳與信俱、引兵東北擊趙、代 後九月、破代兵、禽夏說閼與 信之下魏破代、漢輒使人收其精兵、詣滎陽以距楚

劉邦は張耳を派遣し韓信と共に兵を率いて東の趙とそこから北にある代を襲撃した。閏九月、代の兵を破り、夏説(代の宰相)を閼与で捕虜にした。韓信が魏を攻め落とし代を破ると劉邦は使者を向かわせて韓信軍の)精兵を手に入れ、滎陽に差し向けて楚を防いだ。

 

信與張耳以兵數萬、欲東下井陘擊趙 趙王、成安君陳餘聞漢且襲之也、聚兵井陘口、號稱二十萬 廣武君李左車說成安君曰:「聞漢將韓信涉西河、虜魏王、禽夏說、新喋血閼與、今乃輔以張耳、議欲下趙、此乘勝而去國遠鬬、其鋒不可當

韓信は張耳と共に数万の兵を連れて東の井陘を下り趙を撃とうとした。趙王、成安君 陳余は漢が攻めてきたと知ると兵を井陘口に集めて来襲に備えた。公称、兵力は二十万とされる。廣武君 李左車は成安君に説いた。「聞くところによると漢の将軍 韓信は西河を渡り魏王を捕らえ、夏説を捕虜にして閼与は辺り一面血の海にしたばかりだといいます。今は張耳を補佐にして趙を攻め落とそうとしている、つまり彼らは勝ちに乗じて遠方で争っている状況でありその勢いは留まる事がありません。

 

臣聞千里餽糧、士有饑色、樵蘇後爨、師不宿飽 今井陘之道、車不得方軌、騎不得成列、行數百里、其勢糧食必在其後

千里の遠方から兵糧を送れば輸送は困難となり、兵士にも飢餓の色が現れる。薪を取り草を取ってから炊飯するようでは、軍中では満腹するほどの食事は不可能でしょう。現在井陘の道は狭く、車が並んで通る事も騎馬が列を組んで通る事も叶わない。それが百里も続くのだから、彼らの勢いから見ると糧食が後回しになるのは避けられない。

 

願足下假臣奇兵三萬人、從閒道絕其輜重;足下深溝高壘、堅營勿與戰 彼前不得鬬、退不得還、吾奇兵絕其後、使野無所掠、不至十日、而兩將之頭可致於戲下

どうか奇襲の為の兵を三万人貸していただきたい。私は抜け道を使ってその輜重を絶ちましょう。貴方は堀を深め塁を高くして陣営の守りを堅くし、戦ってはいけません。彼らは前に進もうにも戦えず、また後に引き返そうにも退けません。我が奇襲兵がその進路を絶てば彼らは荒野では何も手に入れる事はできません。十日もたたぬうちに両将軍韓信・張耳)の首を旗下にお届け致しましょう。

 

願君留意臣之計 否、必為二子所禽矣」成安君、儒者也、常稱義兵不用詐謀奇計、曰:「吾聞兵法十則圍之、倍則戰 今韓信兵號數萬、其實不過數千 能千里而襲我、亦已罷極 今如此避而不擊、後有大者、何以加之!則諸侯謂吾怯、而輕來伐我」不聽廣武君策、廣武君策不用

どうか私の策をお取り上げください。そうでなければ必ず両将軍に捕らえられてしまうでしょう」成安君は儒者である。常日頃から正義の兵と称して奇策や詭計は用いなかった。「私は兵法に『兵力が十倍ならば敵を包囲し、二倍なら積極的に戦え』とあると聞く。現在韓信の兵は数万というが、実際は数千に過ぎない。千里の道を進んで我らを襲おうとする時、その疲労は極限に達している。今戦わずして、後に強大な援軍が来たらどうするつもりだ!諸侯は私を臆病者と思い、大した事がないと侮り、討ち取りに来るだろう」そう言って広武君の策を用いなかった。

 

④へ続く