おべんきょうノート

自分用です。

文久3年8月16日 高杉→雅子

七月廿七日之御文相届候所、拝見致候、先つゝ父母様御無事御暮成候之由、目出度存まいらせ候、次ニそもし事も無事罷暮候の由、目出度存まいらせ候、

七月二十七日付のお手紙が届き、拝見しました。まずは父母様が平穏にお暮らしになっているとの事、大変喜ばしく思います。そして貴女も日々をつつがなくお過ごしとの事、これも大変喜ばしい事です。

 

我れら事も無事ニて御役を勤候間、御安心為被下候。井上おとゝ様ニも御無事ニて御暮被成候間、御安心為被成候、

私も異常無くお役を勤めておりますし、井上のお父様もお元気でお暮らしですから、どうぞ合わせてご安心ください。


扨又兼て申候通、士と申者ハいつ死ぬる事カ知れぬ者ゆへ、我らとてもあすも死ぬる事カ有カ知ぬ、

さてまた以前よりお伝えしていた通り、武士というものはいつ死ぬか分からないものですので、私としても明日にも死ぬ事があるかも知れません。

 

右に付、そもしも士の妻なれば夫が死ぬれは、あとを守り、操を立て、夫のほおむりを致すガ女の役目ニて御座候、

ですので、貴女も武士の妻なのだから夫が死ねばその後を守り、操を立て、夫の葬りをするのが女の役目でございます。


我れらハ死してもそもしの事はわすれ不申候、そもしも我れらカたとい、どのような目に合ても操を立て、我れらあとを守り候事、専一ニ御座候、此事を致すことかてきぬは我らカ妻ニハ無御座候、今ノ所、能ゝ御落着為被下候、

私は死んでも貴女の事を忘れません。貴女も私が例えどんな事になっても操を立て、私の後を守る事、それが第一でございます。この勤めができなくては私の妻とは言えません。そのところをよくよくご理解ください。

 

申越度事色々御座候得は、先は是のみ申し遺候乍、爾そもし事は気分用心専一と存候、をしき筆留申収まいらせ候、かしく

申し上げたい事は色々とございますが、まずは以上の事だけを申し遺し、貴女もそういう気持ちをしっかりと持っていて下さい。心残りではありますが、これにて筆を収めます。かしこ


八月十六日
尚々、幾回も父母様御気を就候事専一之事ニ御座候  晋作
お政殿まいる

八月十六日
尚、何よりも大切な事なので今一度繰り返し申し上げますが、父母様に心を配っていただけますよう。 晋作
お政殿へ