慶応元年3月3日 淵上→赤禰
慶応元年3月3日
拝呈仕候、明日は愈御発途之御様子、御暇乞にも参上不仕失礼相働申候、然る処、貴兄御乗船之儀、馬関より御乗込にては、船中乗組之内へも長州人と申都合相分、
拝啓。明日はついに出立の様子、別れの挨拶に参る事も出来ず失礼を働きました。しかし貴方の乗船の事ですが、馬関から乗り込むと船内の乗組員に長州人と仮に分かったとすれば、
京師に於て御尽力之御都合にも何か相響候様之事にて有之哉間、黒崎にて御待合被下、同処より御乗船被下候様奉願候、
京師において尽力する時にも何か影響を与えてしまうのではと思いますので、黒崎(北九州)で待ち合わせくださりそちらからの乗船をお願いしたく思います。
尤馬関に於て御上陸抔之儀は少しも差構無御座候、此段私より申上候、当藩(福岡藩也)人より申聞候間、左様御承知被下候、早々以上
三月三日
ただし馬関で上陸等をする事は少しも差し障りはございません。以上、私から申し上げます。当藩(福岡藩である)人より聞いた事ですが、そのようにご承知ください。早々以上。
三月三日
尚々、明後日之処、一日延引に相成、六日出立之積に御座候
尚、明後日の予定が一日引き延ばしになり、六日出発の心づもりでございます。
長府御藩
柴山和平様 御直披 林田長兵衛
(赤禰の変名) (淵上の変名)